今日のパリの最低気温予想は11度、最高気温予想は15度で、お天気は曇りときどき雨の予報となっております。
渡仏してきた2008年、パリの国立音楽学校のコンセルヴァトワールに通う子に出会いました。
18歳(19歳だったかも)で1人でパリにやって来て、日本食レストランでアルバイトをしながら音楽の勉強をしていました。
歳は離れていたけど仲が良くて大好きな子で、発表会にも行かせてもらったし、誰かのアパルトマンによく集まって、あーだこーだ話しながら、食べたり飲んだりもしました。
(フランスは2008年当時は16歳から飲酒可能で2009年に18歳に引き上げられました)よくバイト先のお寿司やトンカツのまかないを持ってきてくれて、トンカツの厚さがいつも激しく違っていて、調理人が超適当過ぎてここまで違っていいの?と思う、と言っておりました。
でも厚くても薄くても皆日本食が超嬉しかったです。
2年間の勉強を終えて日本に帰る時は、これからのことについていろいろ悩みもあったようでした。
私は力になるようなカッチョイイ言葉は何も言えなかったけど、でも心の中で密かに思っていたことはありました。
それは、彼女にとって1番大事な音楽を続けていくことは大事。
でももしいつか音楽から離れることがあっても、また違うやりたいことに出会うはずだからそれもきっと素敵。
それよりもっとやりたいことや好きなことが出てきてもそれまた素敵。
だって世界にはいろ~んな興味深い世界が満ち溢れているから。
そう思ったのは自分の経験からです。
私の場合は1番の夢は映画関係の仕事に就くことだったけどいろいろあって叶いませんでした。
でも映画にまったく関係ない会社に入って自分に合う職種に就けて学ぶことがたくさんあって、こっちの方が自分に向いていたな、と思うようになりました。
そして海外をたくさん旅するようになったら今度は、海外に住むのが1番の夢になりました。
でも結婚したので、その時一生叶わない夢と諦めました。
ところが離婚になり、最初で最後の叶えるチャンスだ!
と思って日本の暮らしをすべて整理して、大勇気ふり絞ってパリにやって来ました。
(ほんとはポルトガル希望だったけど外国なら結構どこでも良かった感)で、パリにやってきて節約生活だったし、たまの贅沢と思って外食すると思ったより美味しくなかったので、自分で作るようになり、料理が好きになっていきました。
ベビーシッターのアルバイトをしていたけど、料理の仕事をしたいと思い、日本人経営の飲食店の調理スタッフの面接に行ったこともありました。
でも経験がないと言うと、かなり酷い馬鹿にした態度をされ、なのに帰る時はそれがお店の決まりのようで、びっくりするほどの馬鹿丁寧な対応でお見送りされました。
今のタイミングで言い表すと「おもてなしにもほどがある」って感じでした。
で、もともとそれほどガッツがある方じゃないのでとっとと諦め、結局その時付き合っていた人(今の旦那)と暮らすことになり、1年後に結婚しました。
私も食いしん坊ですが、旦那がそれに輪をかけて食いしん坊なこともあり、さらに料理をするようになりさらに作るのが面白くなり、私が1番好きで楽しいことは料理になりました。
で、今、自分の暮らしに生かせていると思っております。
人生は毎日のささやかな幸せの積み重ね。
その中で私が何より大事な家族と、それなりに美味しいものが日々食べれるって、とても幸せなことだと思うからです。
今は映画はたまに観るだけで十分です。
海外に暮らす夢が叶って、フランスに辿り着けて今の暮らしに辿り着けて、こんな幸せなことはないな、と思っております。
たまに日本食を教えて欲しい、とフランス人に言われることがあるので、もしかしたらいつかフランス人向けに小さな日本食の料理教室をやってもいいかな、なんてことも思っております。
お寿司、餃子、ラーメン、カレー、トンカツ、総菜パンなどなど。
さらに日本食の人気は高まるでしょうしね。
ちなみに、子供の頃の私はなりたいものがなく、お嫁さんにもまったく憧れず、特に夢がありませんでした。
そんな子供でも、夢もやりたいことも好きなことも、時間がかかったけど見つけることが出来ました。
これからだってもしかしたら料理よりもっと好きになる興味深い世界に出会うかもしれません。
そしたらそれをまた楽しみたいです。
そんな自分の経験がちょっと重なり、あの子が今も音楽を続けていたらそれはもちろん嬉しいし、続けていなくても、また違う何かに出会っていたらいいな、と願っております。
だって、また言っちまうけど世界はいろんな興味深い世界で満ち溢れていますから。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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