パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

フランスの不思議

パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は6度、最高気温予想は15度で、お天気は曇りときどき晴れの予報となっております。

我が家から程近い場所にある、長く放置されていて半ば朽ちた状態の元農場。

この農場区域は3階建ての建物を建てるのが禁止ですが、約1年半前の2022年の夏に市が特別に許可を出して、高さ20mの新しい大型アパルトマンが建つことが決まりました。

でも近隣住民の間で反対運動が起こりました。

跡地問題は閉店した花屋さんだけではなかった

しかもその後の調査で、農場の建物にフランスで希少なコウモリが住み着いていること、そして農場の建物の裏にある林に野性のキツネが住んでいることがわかり、アパルトマン建設にストップがかかりました。

我が街の大型アパルトマン建設にストップがかかった理由

で、アパルトマンの建設は中止になり、その代わりに低層型のメゾネットスタイルのアパルトマンが建つことになったのが去年の夏。

ストップがかかった我が街の大型アパルトマン計画、その後の展開

ところが一向に工事が始まる様子がありませんでした。

IMG_2749

なのですが、実は今年に入って農場の隣りの2軒の家に売却済の看板が出されました。

で、ここも潰されメゾネットアパルトマンの一角になることを知りました。

IMG_2754

そして先週の月曜日、わんこ散歩で午後通りかかると突然工事が始まっていて、農場がすでに壊され始めていました。

でもこれは翌日の火曜日の午後フォト。

月曜日は散歩が終わってからすっかりフォトしに行くのを忘れてしまい、火曜日でも少し形が残っているだろうと思って気軽にカメラ持って行ってみたのですが、この時はもう農場の建物は跡形がなくなっておりました。

この壁の向こうに横に長い大きな建物があったのですが、おいおいいつも仕事遅いわりに、壊すのは速いじゃないかよ~。

と思ったわたくしです。

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ということで、最初の大型アパルトマン計画話から1年半を経て、ついに工事が始まったというわけです。

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このフォトも火曜日に撮ったもので、売却済の2軒の家はまだそのまま。

IMG_2805

でも水曜日にはこの家々も壊され始めておりました。

住民さんはもちろんとっくに新しい家に移っていらっしゃるだろうけど、この姿を見たらやっぱり少し寂しいのでしょうかねぇ。

私だったらいろいろ思い出して感傷的になっちまいそうです。

でもそういうところフランス人、結構あっさりしてるからな。どうかな…。

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で、ここはこの2軒の家のお隣りの元花屋さん。

経営者のご兄弟が引退して南仏の田舎で暮らすために2022年の初めに閉店しました。

ここも3階建て以上の建物を建てるのは禁止区域ですが、市が大型アパルトマンの特別許可を出した時にここも、そのアパルトマンが建つ建たないで問題になったんです。

その後どんな計画になっていったのかわからなかったのですが、でも通りかかると、まだご兄弟家族は住み続けていました。

なので、ご近所さんと顔を合わせる気まずいだろうな、なんて思っていました。

IMG_2759

ですがいつの間にか、門に鎖がつながれていました。

元お花屋さんもすでに南仏に旅立った模様。

なので、結局ここもメゾネットアパルトマンが建つんだろうな、と思ったのですが、旦那に聞いてみると。

去年元お花屋さんの1人と道端で偶然会ったので立ち話した時は、まだ売れていないんだよ、と言っていたとのこと。

そしてこのフォトした時にメゾネットアパルトマンの建設計画の看板を見ると、番地は隣りの家まで。

なので、お花屋さんは建設計画に入らなかった(入れなかった?)ようなんです。

でも、すでに引っ越しているということは、ここはまだ売れていないけど、新しい暮らしがおそらく出来ているということ。

良かったです!

せっかく引退して新しい暮らしをすると決めたのに実行出来ないのは、残された人生時間を考えると超もったいないですからね。

それと素直に羨ましいと思ったのは、ここが売れなきゃ新しい家に引っ越せない、ということではなかったのだろうということ。

庶民はなかなかそういうわけにはいきません。

金銭的に少し余力があったのでしょう。

この立地は数年後に出来る新メトロから徒歩10分以内。

なので焦って売却しなくても土地の値段はどんどこ上がっていくと思われます。

売れなきゃ引っ越せない、というわけでなければ急いで売る必要はなし。

ここに残っている間はバツが悪いこともあっただろうけど、何が起こっても物事は流れていくもの。

新天地で念願の第2の人生を始めていらしたら素敵だな、と思っております。

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は2度、最高気温予想は9度で、お天気は曇りときどき晴れの予報となっております。

近所に住む98歳のムッシューが入院したけれど退院し、家に帰って来たことをこの記事で書きました。

その後、98歳のムッシューは

かなり足腰が弱ったように見えたけど、それでも98歳で入院して肉体的にはもちろん精神的にもがっくりくるだろうに、数日で退院出来て帰って来れるって、すごいことだな、と思ったのですが。

フランスの政治家や俳優、小説家などの著名人が亡くなったことがニュースで伝えられる時、しょっちゅう80代後半、それから90歳代の方もとても多いので、それにもよく驚かされております。

そして、かなり長生き出来たんだねぇ、とそのたびに旦那と話しております。

私がすぐ思い浮かぶフランスを代表する往年のスターたちも結構長生き。

ジャン=ポール・ベルモンドは88歳で亡くなりましたが、同時期に活躍したアラン・ドロンは体調はすぐれないようですが現在88歳。

マリリン・モンローと同時期にセックス・シンボルとして活躍したブリジッド・バルドーは現在90歳。

愛煙家として知られるカトリーヌ・ドヌーヴは80歳で今もたくさんの映画に主演しています。

映画「男と女」に主演したジャン=ルイ・トランティニョンは一昨年に91歳で亡くなりましたが、同じく主演のアヌーク・エーメは現在91歳。

俳優さんではないけれど「男と女」の監督のクロード・ルルーシュは現在86歳。

一昨年に亡くなった20世紀を代表する映画監督ジャン=リュック・ゴダールは残念ながら自殺ほう助(安楽死)だったけれど91歳。

もちろん、この年代よりも若く亡くなる方もたくさんいらっしゃいますが、それでもフランス人も結構長生きだな、と常々感じているんですよね。

じゃあフランスの平均寿命は?と言うと、WHO世界の平均寿命ランキング第11位で82、5歳。

1位はもちろん日本で84、3歳。

たびたびニュースで90代で亡くなったことを知って驚かされるわりに、日本より結構下なんです。

なぜかな、と考えてみると、ストレスの点では人間関係でも仕事でも、フランスの方がず~っと少ないのは確かだと思うので、食べ物と医療なのかな、と思ったりします。

フランスは今ベジタリアンも多いけど、基本的にはやっぱりお肉をよく食べるな、という印象はあります。

フランスの医療水準は世界の中でもかなり高いと聞いておりますが、でも、なんか身体の調子が悪いので診察を受けようと思っても、行けばすぐに受けられるわけではありません。

まずはかかりつけ医に診察してもらい、かかりつけ医から専門医を紹介してもらいます。

その専門医の予約が数か月待ちということもあるようです。

もし重大な病気が潜んでいた場合は手遅れになってしまうことも考えられます。

なので日本の、診察時間以内に行けば診察してもらえる、っていうのは大きいことだと思うのです。

でも日本のことでさらに大きいと思っていることがあって、それは細やかさなんです。

フランスももちろん腕の良いお医者さんはた~くさんいると思いますし、細やかな方もいらっしゃると思いますし、逆に日本に細やかじゃないお医者さんもた~くさんいるとも思いますが。

それでも、腕が良くて細やかに診てくれる日本人のお医者さんがいたら、病気に関してはそれは最強かな、と思うんですよね。

その細やかさで早くに病気が見つかったり、治療がうまくいったりがあっての世界の平均寿命第1位なのかも、なんて勝手に思っております。

私ももし大きな病気になったらほんとは日本の、腕が良くて細やかに診てくれるお医者さんが良いです~。

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は6度、最高気温予想は7度で、お天気は曇りときどき雨の予報となっております。

2週間前のこの記事で、いつも声をかけてくれた同じ通りに住む顔見知りの98歳のムッシューが間もなく入院するということを、ムッシューと同じ敷地内に住む親せきのマダムから聞いたことを書きました。

帰り道、2つの小さな残念な話

この時からムッシューの家の前を通るたびに気になって、つい家の様子を見ていたのですが。

数日前旦那と2人で通った時、同じマダムがちょうどムッシューの家の出入りをしていたので、マダムがこちらのことを気づくのを待って。

こんにちは、ムッシューはいかがですか、と声をかけさせていただきました。

マダムは私のことを覚えていて、木曜日に退院して帰ってきてるわよ!と。

で、ムッシューと長年顔見知りの旦那が、僕は以前からC(ムッシューの名前)と顔見知りですが、無事退院出来たのですね、と。

するとマダムが、今いるから呼んでくるわ!と。

なので旦那と私で、いやいや大丈夫です、とにかく良かったです、と言うと。

じゃあ、ちょっと家に寄って顔を見ていけば?と言うので。

また、いやいや大丈夫です、と私たち。

すると何とムッシューが玄関口まで出てきたのです。

ただ足元がかなりおぼつかない感じで、しかも、フレール(兄弟)がそっちのお宅にうかがっているんじゃないか、と言い出しました。

実は数年前までムッシューにはもう一軒の家(今マダムが住んでいる家)に住むフレール(おそらく弟さん)がいたのですが、ここ数年お見掛けしていないので、もしかしたらすでに亡くなっているのかもしれないのですが…。

とにかくムッシューが、フレールがそっちに行っているんじゃないか、と。

でも我が家にフレールさんは来ていないし、弱弱しくなってしまったムッシューが危なっかしいしで。

会えて嬉しいです、また近々!と言って手を振ると。

ムッシューも笑顔で手を振ってくれて、マダムに支えられて家の中に戻っていきました。

その姿を見送ってから私が、ムッシューにもう会えないかもと思っていたので嬉しいな、と言うと旦那が。

でもフレールの話からするとおそらく認知症が少し始まっているのかもね、と。

前回会ったのは去年の終わり頃だったと思うのですが、その時は足取りがしっかりしていたし、いつも通りに私に、ボンジュール!と言って手を振ってくれたので、体調を崩して短期間の間に変化があったのかもしれません。

前回の記事でも書いたけれど、年配の人はどこか調子がおかしくなると全部ガタガタと来ますからね…。

でも、もう家に帰って来れないかも、とちょっと思っていたので、帰って来れたことが何よりです!

やっぱり家が1番だと思いますから。

それと、最初キツイ印象だったマダムが今回はとても感じよかったことも嬉しかったです。

でもフランス人、結構これあるように思います。

旦那の亡くなった前の奥さんのお姉さんも、最初私に会った時はそうでした。

でも何度か会っていくうちに最初とはまったく変わって、私の心配までしてくれるようになって、今では大好きな人の1人になりました。

最初にいい顔しないとか愛想がないっていうのは、取り繕わない人だったり率直なだけだったりの場合があるんですよね。

ただし、たまにあまりにも感情全面に出し過ぎでびっくりするフランス人、いる~。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は9度、最高気温は13度で、お天気は雨となっております。

少し前にブロカント市に行った時のことです。

売り物が並ぶ中に、おお、久しぶりに見たな~、と旦那が言ったものがありました。

IMG_8584

それが若干年季の入った、このTVみたいなワープロみたいな機械。

何コレ?と聞くと。

「ミニテル(Minitel)」だよ、と。

「ミニテル」とは1979年にフランスの電信電話総局が開始したフランス独自のネットワークシステムで、これは専用のキーボード付きの端末。

当時のインターネットのようなもので、列車や飛行機、ホテルなどの予約や電話番号検索、ショッピング、メール、チャットなどが出来たそう。

この端末が無料で貸し出され、一時期は年間の売り上げ高が約1000憶円にもなったそう。

でも旦那曰く、利用料は結構高かったとのこと。

なので旦那は使っていなくて、こういう人も結構いたそうです。

他の国では1993年~1994年頃にインターネットの普及が始まりましたが、フランスにはこの独自のミニテルがあったため、インターネットが本格的に普及し始めたのは2000年頃。

日本では1999年にNTTドコモの携帯電話向けネットサービス「iモード」がすでに始まっているので、フランスはかなり遅れたようです。

実はこれを知って、合点がいったことがあるのです。

私は2008年に日本からフランスにやってきましたが、日本ではたとえば電車に乗ってる人の多くがすでに下を向いて携帯を見ていたし、街を行き交う人も、携帯を見ている人が多かったです。

ところがフランスに、パリに来たら、メトロでも街中でも下を向いて携帯を見ている人の数が日本よりもかなり少なかったのですよね。

なのでさすがフランス人、モノに流されないんだな、と、その時は思ったものです。

でもどうやらそうじゃなかったようです。

ただ単に遅れていたからだったんですね。あは。

そんなフランスのインターネット普及を遅らせたとも言われているミニテルのサービスが終了したのが2012年。

それから11年、今じゃメトロでも街中でも、下を向いて携帯見てる人の数は日本とまったく変わらない状況となっております。

歩きスマホの人にぶつかりそうになることなんて、しょっちゅうですよ。

あれはちょっと危ないわん。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は18度、最高気温は23度で、お天気は曇りしょっちゅう雨となりました。

旦那の亡くなったお祖母ちゃんはポーランド人。

まだ十代だった戦時中、フランス人のお祖父ちゃんと出会ってフランスに住むことになりました。

でもお祖母ちゃん以外の家族は戦争の混乱を避け、アメリカに渡りました。

それからもお祖母ちゃんとアメリカに住む家族は連絡を取り合っていましたが、お祖母ちゃんは41才の時に事故で他界。

その後お祖母ちゃんのフランスの家族(旦那家族)とアメリカの家族とは連絡が途絶えてしまいました。

でも家族の歴史を知りたい旦那は長年、アメリカの家族の行方を捜していました。

で、ある時、家で書類の整理をしていたら、お祖母ちゃん宛に送られたお祖母ちゃんの妹さん(2人いるうちの1人)からのポーランド語の古いカードが見つかりました。

旦那はポーランド語がわからないので、近所に住むポーランド系ご家族のところに行き、訳してもらい、内容を理解。

カードにはアメリカの住所(ニューハンプシャー州)も書かれていました。

で、今はインターネットの時代。

ネットで調べたら、その住所の電話番号がわかったので、旦那が電話をしてみたのです。

でも電話に出た誰かに話が通じず電話を切られてしまいました。

かなり落ち込んでいた旦那です。

で、いきなり電話してもそりゃそうだよ。手紙とか書いて送った方がいいんじゃないの?と私。

それが2年前で、それっきりだったのです。と、私は思っていたのです。

でも1週間前に旦那がいきなり「アメリカの親類からメッセージが来た!」と。

話を聞いてみると、キリスト教徒が亡くなるとその人の名前、生年月日と没年月日、生い立ち、家系などがわかる教徒のためのサイトがあって、そのサイトでお祖母ちゃんにカードを送った妹さんの名前を見つけたのが今年の3月。

サイトではメッセージのやり取りも出来るので、旦那がメッセージを送ってみたそう。

で、しばらくはサイトをまめにチェックしていたようなのですが、返信が来ないのでそのうちチェックするのを忘れて、久しぶりに確認してみたら、メッセージが届いていた、と、こういうことなのです。

それが、もう書きましたが1週間前で、でもメッセージが送られてきたのは5月。

で、メッセージに気付くのが遅れたけど舞い上がる旦那、すぐにまたメッセージを送ると、すぐ返信が来て、その相手がお祖母ちゃんのうんと年の離れたいとこ(女性)であること、カードにあった住所にはお祖母ちゃんのもう1人の妹さんが住んでいること、そのいとこもやはりニューハンプシャーに住んでいることなどがわかりました。

そのやりとりの後、旦那がすぐ旦那の弟妹にメールして、このことを報告。

皆が驚き、喜んだようです。

で、翌日に今度はそのいとこさんに旦那が直接電話。

すぐに出てくれて(私もそばにいました)、旦那何とか英語で会話。

さらにいろいろなことがわかったのですが、特にびっくりしたのが、お祖母ちゃん以外全員がアメリカに渡ったと聞かされていたけど、そうではなく、アメリカとオーストラリアに渡った人がいて、今もアメリカの家族とオーストラリアの家族は連絡を取り合っているのだそう。

これらのことがわかり、とにかくついにアメリカの家族と連絡が取れた先週末。

急な展開にこちらはもちろん、アメリカの家族たちも驚いたことと思います。

今週は、アメリカの家族に送る家族写真などを選んだりしている旦那。

いつかフランスから誰かが会いに行くか、アメリカから誰かが来るか、またはオーストラリアから、なんてことも、もしかしたらあるかもです。

それにしてもインターネットがあったからこそ。

もしなかったらこんなことは一生起こらなかったのでしょうねぇ。

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