今日のパリの最低気温は18度、最高気温は23度で、お天気は曇りしょっちゅう雨となりました。
旦那の亡くなったお祖母ちゃんはポーランド人。
まだ十代だった戦時中、フランス人のお祖父ちゃんと出会ってフランスに住むことになりました。
でもお祖母ちゃん以外の家族は戦争の混乱を避け、アメリカに渡りました。
それからもお祖母ちゃんとアメリカに住む家族は連絡を取り合っていましたが、お祖母ちゃんは41才の時に事故で他界。
その後お祖母ちゃんのフランスの家族(旦那家族)とアメリカの家族とは連絡が途絶えてしまいました。
でも家族の歴史を知りたい旦那は長年、アメリカの家族の行方を捜していました。
で、ある時、家で書類の整理をしていたら、お祖母ちゃん宛に送られたお祖母ちゃんの妹さん(2人いるうちの1人)からのポーランド語の古いカードが見つかりました。
旦那はポーランド語がわからないので、近所に住むポーランド系ご家族のところに行き、訳してもらい、内容を理解。
カードにはアメリカの住所(ニューハンプシャー州)も書かれていました。
で、今はインターネットの時代。
ネットで調べたら、その住所の電話番号がわかったので、旦那が電話をしてみたのです。
でも電話に出た誰かに話が通じず電話を切られてしまいました。
かなり落ち込んでいた旦那です。
で、いきなり電話してもそりゃそうだよ。手紙とか書いて送った方がいいんじゃないの?と私。
それが2年前で、それっきりだったのです。と、私は思っていたのです。
でも1週間前に旦那がいきなり「アメリカの親類からメッセージが来た!」と。
話を聞いてみると、キリスト教徒が亡くなるとその人の名前、生年月日と没年月日、生い立ち、家系などがわかる教徒のためのサイトがあって、そのサイトでお祖母ちゃんにカードを送った妹さんの名前を見つけたのが今年の3月。
サイトではメッセージのやり取りも出来るので、旦那がメッセージを送ってみたそう。
で、しばらくはサイトをまめにチェックしていたようなのですが、返信が来ないのでそのうちチェックするのを忘れて、久しぶりに確認してみたら、メッセージが届いていた、と、こういうことなのです。
それが、もう書きましたが1週間前で、でもメッセージが送られてきたのは5月。
で、メッセージに気付くのが遅れたけど舞い上がる旦那、すぐにまたメッセージを送ると、すぐ返信が来て、その相手がお祖母ちゃんのうんと年の離れたいとこ(女性)であること、カードにあった住所にはお祖母ちゃんのもう1人の妹さんが住んでいること、そのいとこもやはりニューハンプシャーに住んでいることなどがわかりました。
そのやりとりの後、旦那がすぐ旦那の弟妹にメールして、このことを報告。
皆が驚き、喜んだようです。
で、翌日に今度はそのいとこさんに旦那が直接電話。
すぐに出てくれて(私もそばにいました)、旦那何とか英語で会話。
さらにいろいろなことがわかったのですが、特にびっくりしたのが、お祖母ちゃん以外全員がアメリカに渡ったと聞かされていたけど、そうではなく、アメリカとオーストラリアに渡った人がいて、今もアメリカの家族とオーストラリアの家族は連絡を取り合っているのだそう。
これらのことがわかり、とにかくついにアメリカの家族と連絡が取れた先週末。
急な展開にこちらはもちろん、アメリカの家族たちも驚いたことと思います。
今週は、アメリカの家族に送る家族写真などを選んだりしている旦那。
いつかフランスから誰かが会いに行くか、アメリカから誰かが来るか、またはオーストラリアから、なんてことも、もしかしたらあるかもです。
それにしてもインターネットがあったからこそ。
もしなかったらこんなことは一生起こらなかったのでしょうねぇ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
応援クリックしていただけると励みになります。
にほんブログ村