今日のパリの気温は朝は10度、最高気温は15度で、お天気は薄曇りとなっております。
渡仏の際、貯金とフランスでアルバイトをしながら最低でも2年は暮らしたい。
そう決めてやって来ました。
長年の夢で、決心してやっと実現する海外暮らしだったので、1年はあっという間に過ぎてしまうだろうと思ったからです。
そんな気持ちでやって来て、最初の年はパリの語学学校に通いました。
初めての海外暮らしは想像を遥かに超えるくらい楽しくて、毎日が新鮮でした。
住んでいたアパルトマンのそばにあった商店街やスーパーでは、たくさんのフランス人たちと顔見知りになり、いつも声をかけていただきました。
ただし、一緒に出掛けたり遊ぶのは、同じ語学学校の日本人がほとんどのクラスメートたち。
フランス語はまだまだぜんぜんわからず、情報を教えてくれたり助けてくれるのも日本人。
なので頼りにしていたしやはり安心でもありました。
でも、このままだといつまで経っても日本人ばかりの付き合いになっちゃうな、せっかくフランスに来たのだからフランスの事もフランス人の事ももっと知りたい。
そのためには、日本人が多くて頼りにもなるパリに居続けてはだめだな。
と思い、パリで1年暮らした後、誰も知り合いがいないニースに移ることを決めました。
ニースでも語学学校に通い始めましたが、日本人はもちろんアジア人さえも1人もいなくて、生徒は若い欧米人ばかり。
欧米人はやはり欧米人同士、しかも若者は若者同士、のように私には感じられてまったく馴染めず、初めの2ヶ月くらいは学校の授業以外ではほぼ誰とも話さない日が続き、一緒に連れてきたチワワ坊やだけが話し相手の日々でした。
このまま誰とも知り合わず、ず~っとこのままかもしれない。
そんな事が過ることもありました。
でも2ヶ月が終わる頃、状況が変わっていきました。
アパルトマンの部屋のお隣さんのサルディーニャ島出身のマダムと顔見知りになって行き来するようになり、他のフランス人やイタリア人、イギリス人の住人さんとも親しくなり、一緒に食事に行ったりするようにもなりました。
アパルトマンのすぐ目の前で見かけたアジア人女性がな~んか日本人っぽかったので、思い切って声をかけてみたらやはり日本人で、しかも彼女の住まいは私の住まいと目と鼻の先。
で、彼女を通してニースに住む日本人とも親しくなりました。
その後彼氏も出来て、とにかく最初の2ヶ月とは生活がいっぺんしました。
南仏の眩しい太陽と海と風とラテン気質な人々とのニースでの日々は、パリとはま~ったく違う暮らし。
今でも、かなりスペシャルで今後2度とない日々だろうと思っております。
でも不思議なのが、最初の孤独な2ヶ月間も、とても心地良かったということ。
誰も知ってる人がいない。
自分が動かないと何にも出会わない、気づかない。
たとえ動いてもしょっちゅう通りすがりなだけ。
ヨーロッパを1人旅していた時の感覚と似ていて、自由と不安がいつも隣り合わせ。
それが何とも好きでした。
話を戻しまして、その後いろいろあって彼と別れ、フランス生活2年めの終わり、最初の予定通り1度は日本に帰ろうと思ったのですが、帰りたくない自分がいました。
周りを気にする必要のない、自分が自分でいやすいフランスでの暮らしが自分に合っている、というか、好きだな、と気づきました。
でもニースでの日々は、眩しい太陽の光は、その時の自分には正直、かなり痛いように感じてきていました。
で、一生アルバイトで小さなアパルトマン暮らし、というのを覚悟して、パリに戻って来たというわけです。
その後のことは、またいつか機会があったら書きたいと思いますが、今でもパリでの1年はもちろん、ニースでの1年もかげがえのない思い出で、パリと南仏、どちらでも暮らしたことを本当に良かったと思っております。
やっぱり動かないと世界は広がらないし、出会いも広がらない。
守りに入って、その守りの中で何かを期待しても、そんな夢のような甘い話はない。
そんなことを、自分の人生を思い返しながらつくづく思う今です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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