パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

février 2025

パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は2度、最高気温予想は6度で、お天気は曇りとなっております。

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5区の学生街カルチェラタンのシンボル、ギリシャ風神殿のパンテオン。

聖ジュヌヴィエーヴ(パリに守護聖人)に捧げられた教会ですが、現在はヴィクトル・ユゴーやマリーキュリーなどフランスの著名人たちが眠る墓地となっております。

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このパンテオンの脇はソルボンヌやアンリ4世校など有名校の学生たちでいつも賑わっております。

通るといつも思うのですが、学生さんたちなので着飾ってるとかないのですが、この一帯だけでも綺麗な若い人たち(特に女の子)があちこちにいて、やっぱりフランス人の、と言うか、ヨーロピアンの美しさのレベルの高さを改めて感じるんですよね。

それとは別でもう1つ、これは気になったことなのですが、電子煙草も含め煙草を吸ってる若い人たちがとても多いんです。

今フランスでは煙草って一箱12、50ユーロ前後。

この高い煙草を学生さんが吸っているということにびっくりです。

1日3、4本じゃすまないだろうからすごい出費だと思うのですが、どういう金銭事情なのだろうと謎です。

もちろんパリだとリッチなお子さんたちがたくさんいると思いますが、地方から来て親御さんの仕送りで学生生活を送っている方もたくさんいらっしゃると思うのですよね。

コロナ禍の時に観たルポルタージュでは、バイトの仕事がなくなった学生の生活が困窮してると伝えていたのですが、その中の学生が煙草を吸っていて、いやいや先ず煙草止めなくちゃじゃないのだろうか、と思ったものです。

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パンテオンの左側を抜けてしばらく歩くと、右に短いデカルト通りがありその先に観光客にも大人気の有名なムフタール通りにつながっております。

初めてパリを旅した時に宿泊したのがこのすぐそばのホテルだったので、このあたりはとても想い出深い場所なんです。

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デカルト通りと言えば有名なのが詩人ポール・ヴェルレーヌが亡くなったこのアパルトマン。

0階(日本の1階)はヴェルレーヌの名前がついた食堂となっております。

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そして、アーネスト・ヘミングウェイが仕事部屋を持っていたのもこのアパルトマン。

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ヴェルレーヌとヘミングウェイが揃っちゃっているのがすごいです。

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かなり特徴のあるお顔立ちのヴェルレーヌさんです。

右のフォトは詩作中的なヴェルレーヌさんでしょうか。

それとも飲んだくれて酩酊状態っぽいヴェルレーヌさんでしょうか。

ん?あれ?でもなんかちょっとうちのお父さんに少し似てるような気が。

目はここまで鋭い感じではなくてもっと大きかったけど雰囲気は似てるかも。

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この中のどこかでヴェルレーヌが亡くなり、ヘミングウェイが執筆していた。

そう考えるとなんだか不思議です。

こういう歴史的建物が街中の至る所に普通に残っているのがパリのすごいところ。

しかも今も誰かが住んでいるというのも面白い。

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フォトしていたらツアー観光の若い子たちがやって来ました。

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2025年の今は気軽にスマホで記念撮影です。イェ~イ。

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そしてそのお隣り。

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ここにも歴史的プレートがあります。

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こちらは日本人作家の辻邦生さんが1980年から1999年まで滞在していたアパルトマンです。

1980年にパリの大学で講義をした時にたまたま借りたのがこのアパルトマンの一室で、ホテルよりずっと生活しやすかったし、1年借りても2ヶ月のホテル代より安かったのでそのまま借りることにした、と「私の二都物語 東京・パリ」という作品の中で書いていらっしゃるようです。

1999年に亡くなられているので、最後まで借りていらっしゃったようですね。

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ヴェルレーヌ、ヘミングウェイ、そして辻邦生の住んでいたアパルトマンがあって、でも学生街なのでお手頃なお店がたくさんあって、しかも月曜日以外は朝8時から13時まで観光客にも大人気の活気あるマルシェも開催されております。

そのマルシェが思い描くパリのマルシェそのもので、歩くだけでも楽しいんですよね。

初めてのパリ旅行でここに来た時は、パリだ~♪と嬉しかったものです。

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は2度、最高気温予想は7度で、お天気は晴れときどき曇りとなっております。

週末ごはんのご紹介でして、この日はビストロでも定番のフランスの家庭料理の王道メニューに挑戦。

もう言っちまうけど、めちゃめちゃ美味しかった~♪

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まずはテーブルコーデでして、赤いギンガムチェックのクロスに、薄緑&ブルーグレイの模様の縁取りのブロカント皿をチョイス。

なぜなら。

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お花が、クリスマスに買って何とか生き延びていてくれている白菊ちゃんと黄緑菊ちゃんの地味めコンビだったので、このお花たちより華やかな色のお皿を持ってくるのは失礼だと思ったからです。

かれこれ一ヶ月半近く何とか保っていてくれているので、わたくしなりに敬意を払ったつもりでございます。←ちょっと大袈裟

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1品めはアミューズブーシュでして、自家製野菜プチパン(人参、トマト、ホウレン草)のプチサンドイッチ3種です。

中は人参ラぺ&マヨネーズ、生ハム&チーズ、スモークサーモン&クリームチーズとなっております。

普通の大きさの野菜パンを作る時に一緒に作っておいて冷凍しておいたもので、カラフルだし小さなお楽しみ感もあって、アミューズに重宝しております。

それに何はさんでも結構イケます♪

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2品めはちょっとわかり辛いですが、ホタテとサーモンとオレンジのタルタル仕立てです。

魚介とフルーツの組み合わせはフランスに来て好きになった組み合わせ。

日本にいた時は、魚介とフルーツの組み合わせなんて想像もつかなかったし、魚介じゃないけど人参とオレンジの組み合わせも好きじゃなかったし、あ、あと人参とレーズン組み合わせも苦手でした。

なんでしょっぱいのに甘いのもってくるの?って思ってました。

でも今じゃ全部だ~い好きで自分でも、あ、これは甘いのが足らないな、なんて思ってサラダにもお肉料理にもお魚料理にもさささっと加えたりします。

外食好きで日本でも結構美味しいもの食べていたと思うのだけど、フランス料理で新鮮な組み合わせから生まれる美味しさを知ったような気がします。

あと、自分で料理するようになったことも大きいかな。

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そして3品めは王道のフランスの家庭料理でして、鴨のアッシ・パルマンティエです。

去年の終わりにビストロ大定番の鴨のコンフィを作りました。

フランスのビストロ大定番の週末ごはん(美味スープレシピあり)

この時に鴨の胸肉も一緒にコンフィにして冷凍しておきました。

このコンフィをほぐしたものと、じゃがいもクリームと重ねて焼いたのがアッシ・パルマンティエ。

日本では手軽な牛ひき肉などを使ったレシピが紹介されていますが、王道は鴨肉を使ったものでして、実は私も作る時は牛ひき肉などで代用していて自分で作った鴨コンフィでアッシ・パルマンティエを作ったのはこれが初めて。

ビストロではいただいたことがあるんですけどね。

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で、はい~、これがほんとめちゃめちゃ美味しかったんです~。

鴨のちょっとスペシャルな風味とクリーミィーでまろやかなじゃがいもクリームの相性が良くて、旦那と2人であっちゅう間に完食しました。

これだったら鴨が苦手な人でも食べれるカモしれません。うひ。

これからは鴨コンフィ作る時はその後もう1食アッシ・パルマンティエも作ることに決まり。

鴨がお買い得の時(鴨お高めなんです)、奮発して買っておかなくちゃです!

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は-3度、最高気温予想は5度で、お天気はほぼ晴れの予報となっております。

我が家のご近所さんの98歳、いや99歳のムッシューが去年の4月に老人ホームに入所したことをこの記事で書きました。

花市&購入した日本の植物と98歳のムッシューのその後

家の前を通りかかるといつも手を振ってくれたり、元気?と聞いてくれて、顔を姿を見るとほっと癒される優しいムッシューでした。

でもとうとうホームに入ってしまい、その後も実は何度かお隣の家に住む親族らしいマダムに会う度に、ムッシューのことを聞いておりました。

去年の6月に無事100歳を迎えられたことも聞いていて、実は迎えられるのかな、と心配が過っていたので、すごいな、とびっくり嬉しく思っておりました。

つい2ヶ月くらい前にマダムに会った時は、ムッシューは家に帰りたい、とそればかり言っているけどね…もうちょっと無理なのよね…と残念そうに話していて、ああ家に帰りたいんだな、そりゃそうだよな、と何とも言えない気持ちになりました。

そんなムッシューの家に不動産屋さんの「à vendre(ア・ヴァンドル=売り出し中)」の看板が2日前に立てられたのです。

ムッシューの家だけじゃなくお隣のマダムの家も同じ看板が立てられました。

ショックでした。

何があったのかはわからないのですが旦那と、ムッシューが亡くなってしまったのか、または老人ホームの費用捻出のためかね、と話しました。

フランスの老人ホームはとても高いんですよね。

ムッシューとそれほど年代が変わらなくて、歩くのに人の手が必要なムッシューのマダムもいらっしゃったはずなので、どういうことになったのか…。

いつかムッシューのご親族マダムに偶然また会うことが出来たら、と思いますが、でも、どんな事情があるかわからないので、こちらから詳しいことを聞くのは失礼だとも思います。

なので、ムッシューは大丈夫ですか?といつものようにだけ聞こうと思っております。

15年前、旦那が住むパリ郊外のこの街、このカルティエに移り住んできて、顔見知りになったムッシュー。

春夏はよく庭の手入れをなさっていて、そのお庭はほんといつも綺麗に整えられていて、ムッシューの優しく穏やかな笑顔と、手入れされた花々(芍薬、ボケの花、リラ、アジサイなど)で春が来たことや初夏が来たことを感じるのが、ずっと当たり前に楽しみで小さな喜びでした。

でも小さな喜びは重なって重なっていつしか大きな喜びとなっていたんですよね、15年の月日を重ねて。

なので、この時間が終わることが、終わったことがとても悲しく寂しいです。

そして、なんかある意味区切りかな、と思いました。

これと似た気持ちを感じたことが以前1度あります。

学生の時から通い続けていたお茶の水のトリス・バー「まいまいつぶろ」が閉店した後です。

1958年からマスターが長年1人でやっているお店でお茶の水の駅を出たすぐ脇の並びにあって、扉を開けると必ずいつものお馴染みさんがカウンターの手前にいて、そのカウンターをはさんでマスターがいました。

口数のうんと少ないマスターで頷くだけなんだけど、いつしかお馴染みさんの1人になれて、忙しいマスターのタイミングに合わせ、仕事の邪魔にならない程度で少しお話も出来るようになりました。

ウィスキーサワーはいくらだったかな、230円くらい?

とにかく行けばいつもの光景があって、いつもの寡黙なマスターがいて、私にとっては変わらない、でも特別な時間でした。

でもそのマスターが倒れ、その後1度は復帰したけど、結局2006年(確か)に閉店となりました。

それから1年くらい経った頃、今どうなってるかな、と思い行ってみたら、チェーンのカレーショップになっていて、まいまいつぶろの面影は唯一狭い店内そのままの作りだけで、他には何1つもありませんでした。

その時やはり、区切りかな、と思ったのですよね。

そしてその頃から考えていた渡仏をその翌年、実行しました。

深い付き合いをしたわけじゃなくても、詳しいことをわかっているわけじゃなくても、区切りのように感じることが人生にはあるものです。

そんなことが1つ増えたのはおそらく人生後半だからかな、と思い、面白くもあるけれど、せつなくもあります。

でもだからなるべく悔いのないようやりたい生きたいと、改めて思うのです。

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