一階(日本で言う二階)は、当時ファミリーの寝室だった大きな空間が、
現在はジュール・ヴェルヌが集めた本の展示室となっています。
この家にはおよそ700点もの実際に彼が使っていたものたちが展示されていて、
机の上には彼が書いたと思われるメモ書き(復元コピー)などが並べられていました。
ジュール・ヴェルヌは1856年に出会ったオノリンヌ(Honorine)と1857年に結婚。
その時オノリンヌはすでに2人の小さな坊やがいて、
2人の間にもまた坊やが生まれ、3人のお子さんと奥さんの5人家族。
その頃はまだ成功していなくて他の仕事をしながら少しずつ書いていた時期で、
1863年に書いた「気球に乗って五週間」で人気が出て、
その後世界的にも有名になり1882年にアミアンのこの大きな家へ。
建物は1845から1854年にかけて作られたものだそうです。
二階(日本でいう三階)には「水上の旅(Les voyases nautlques)」
と名付けられた小さな部屋もありました。
港町ナントで生まれ、子供時代いつも窓からその様子を眺め、憧れていたその思いを、
大人になってもずっと持ち続け、こうして夢のある部屋も作る。
そんな心が想像力豊かな作品を書くこととつながっているのだろうなぁ、
と感じました。
通り過ぎてしまいそうなとても小さな寝室もあって。
小説を書く時用の仮眠も出来るお部屋かしら。
窓からは緑豊かな広場の風景。
ナントからパリへ、そして終の棲家はアミアン。
この街が北の小さなヴェニスとも言われるように、
水辺があちこちにあるのも魅力だったのでしょうか。
あ、ただし、この家のパンフレットにもアミアンの観光局のサイトでも、
ジュール・ヴェルヌがこの家に住んだのは1882年から1900年までとなっていて、
だけどウィキペデイアでは1905年にこの家で亡くなった、となっているのです。
その五年間の違いの意味がちょっと定かじゃありません。
(よくウィキペディア間違いあるし…)
奥さまのオノリンヌは1910年に亡くなっているのですが…
またアミアンに行ったら観光局に寄って聞いてみましょう。
それにしてもお家がとっても広いんです。
中階段にもいくつもの小部屋のような空間があって。
そしてそして一番上には、
「ジュール・ヴェルヌの屋根裏部屋(Le grenier de Jules Verne)」があります。
ここもなんだか子供の冒険心と宝物がたくさん詰まったような楽しい空間。
ときどき屋根裏部屋に上がっては、子供のように夢想していたのかもしれません。
その頃の世界地図もありましたよ。
で、思わずジパングどこかなぁ、と探してけれど、ど…
あれ、ジャポン切れててのってないね、ってあっさり旦那。
え!どうしてひどい~!黄金の国ジパングだよ、とあたし。
ま、でもここはユアラップ。なのでユアラップ中心なのはしかたありません。
ということで2回に渡ってのジュール・ヴェルヌの家のご紹介は以上となります。
長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。
HP…「LA MAISON DE JULES VERNE」
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