「パリから行く小さな旅」アミアン編のラスト記事となります。
ジュール・ヴェルヌの家の後は1981年にユネスコ世界遺産登録されている、
ノートルダム大聖堂へ。
フランスでも最も大きいものの1つである、ゴシック様式の大聖堂です。
正面の扉は世界が終わりを迎える時、キリストを通じて全人類に審判がなされるという
「最後の審判」の石像彫刻。
悪業が善業を上回ったら地獄に落ちるらしい。
それでは中へ。
さすがに大きくて圧巻です。
今まで見た中で強く印象に残っているのは自分はスペインのトレドの大聖堂なのですが、
トレドの大聖堂は1226年から267年の年月をかけて作られていて、
ノートルダム大聖堂は1220年から68年間くらいで建設されたもの。
当時としてはとても短い期間だったようです。
ただし現在の大聖堂はフランス革命と1915年、1940年の戦争でかなりの被害を受け、
1954年から多くが修復されたものだそう。
せっかく人間によって素晴らしいものが作り出されたのに、
人間に壊されたのですね。
ところで昔、イタリアを旅した時、ある小さな町の宿で、
そこの主人にひどいボッタクリをふっかけられたことがあるのですが(シカトしました)、その後、偶然その町の教会で熱心に祈りを捧げる彼を見かけまして、
いったい何を祈っているのだろうか、と。
そして、これも人間というものかなぁ、と、しみじみ思ったものです。
興味深いことだったので今も忘れられません。
さすがに顔は忘れちゃいましたけどね。
この大聖堂は内部の石像の彫刻たちもまた繊細で素晴らしかったのです。
古代ユダヤの宗教家で預言家で、イエス・キリストに洗礼を授けたという洗礼者ヨハネの生涯を描いたものや、
スペインで生まれアミアンの最初の大司教になった聖フィルマンの生涯、
大司教フェリーの墓標彫刻など500年以上前の作品が、壁や回廊に並び、
その繊細さにしばし見入ってしまいます。
戦争の時は別の場所に移したんでしょうかねぇ。
そして厳かなこの大聖堂を出て、¥
ふと気が付いたのが、すぐ目の前にあったピカルディーの郷土料理レストランの文字。
ピカルディー弁「bien boère(ビヤン・ボエール)」は
フランス語だと「bien boire(ビヤン・ボワール」で
「よく飲みましょ♪」みたいな。
ピカルディー弁「bien matcher(ビヤン・マッチェ)」は、
フランス語だと「bien manger(ビヤン・マンジェ)」で
「よく食べましょ♪」的な。
そして、
ピカルディー弁「et pis ne rien foaire(エ・ピ・ヌ・リヤン・フォエ―ル)」は、
フランス語だと「et puis ne rien faire(エ・ピュイ・ヌ・リヤン・フェ―ル)で、
「で、後は何もしないのさ!」みたいな感じでしょうか。
ピカルディー生まれの旦那も子供の頃、
ママンにピカルディー弁でときどき話されたそうですよ。
きっとマクロンさんもだったんでしょうねぇ。
おわり
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