→「私がパリに来たいきさつ①」
渡仏準備は主に、
住んでいたマンションを出た後に移ったマンスリーマンションで進めた。
慣れない小さな部屋でチワワっ子坊やは、
準備で私がしょっちゅう外出になっても、ほんとにいい子で待ってくれていた。
人間の勝手で生まれ、売り買いされ、人間のもとにやってきて、
今度はまた人間によって日本から遠い国に連れて行かれる。
私は自分の夢を実現させようとしているけど、
この子のことを考えると身勝手とも言える行動で。
だから、フランスでも絶対この子を守らなくてはならないと思った。
けれど渡仏1か月前に坊やが突然体調を崩しかかりつけの動物病院に緊急入院。
とても危険な状態で2、3日が山だと先生に言われた。
思い当たることがなかった中で先生と話したのは、
ウィークリーマンションの散歩コースの通りにガソリンスタンドがあったので、
もしかしたら誤って身体にガソリンが入ってしまったのかもしれない。
ということだった。
とにかく私はその数日間、空のお父さんお母さんご先祖さまに、
坊やを助けてください、坊やが助かるならフランスはもう行かなくていい、
と願った。
そして坊やは奇跡的に命を取り留め、回復した。
それでも無理はさせられないと思い、
渡仏をやめる方向でキャンセルの手続きを進めていたのだけど、
坊やが順調に元気になっていき、渡仏手続きも手伝っていただいていた病院の先生が、
一緒に行っても大丈夫でしょう、と言ってくださって、
迷ったけれど、結局出発日を1か月ほど先に延ばして行くことに決めた。
散歩の時もたとえ1人でももう絶対にガソリンスタンドの通りは通らなかった。
こんのやろう、という気持ちも若干あったが、それは大人げなかったと思う。
そして2008年の4月のはじめの早朝、
わんこバッグの坊やを抱き、リュックを背負い、
パンパンに膨らんだ重いスーツケースを引きずりながら、
2ヵ月ちょっと住んだウィークリーマンションを後にし、
電車を乗り継いで気合いで1人成田空港へ向かった。
最後まで家族は反対だったので孤独な出発だったかもしれない。
でも坊やが元気で私もでスーツケース以上の重い荷物はすっきりもうなくて、
希望いっぱいの清々しい出発だった。
◇ ◇ ◇
あれから9年と5カ月が経とうとしています。
坊やが今も一緒にいてくれるのを奇跡のように毎日感じています。
そして、大切な家族である旦那がいてくれて、
愛おしいミュミュとジョアンナとジェンカとタムとティティンがいてくれて。
フランスに来る時、家族をあきらめる覚悟みたいなものを持って来たけれど、
今、フランスで出会った家族に囲まれて穏やかに暮らしているのが不思議です。
で、この9年とちょっとの間、ずっと思っていることがあるのですが、
たとえ自分の家族がどんなに心から心配してくれても、
それでもやはり自分の人生は自分のものだな、と。
それから、もしフランスじゃなくて別の国だったとしても
きっと何かしらその国の良さを見つけられたんだろうな、
今、自分はたまたまフランスで、食の街パリで、
外食が高く節約もあったのがきっかけでさらに料理が好きになったけど、
もし違う国であっても違う何か好きなことを見つけられたかな、と。
ま、フランスでよかったとはやっぱり思ってるんですけどね。
そして、今こうして書いているけど、この後だって何があるかわからないのです。
でもこのままずっとこうして家族で一緒にいるのが今の一番の願いだし、
ベベっ子たちを最後まで絶対に見守りたいし、
自分の人生の最後は出来れば旦那に見守られながら…と願っています。
あ、で、今は日本の家族も理解してくれていて、
まだ我が家に来たことがないのでいつか来てほしいと思っております。
そうですねぇ、今年か来年あたりでしょうかねぇ…
スヤスヤねんね中のミルク坊やは昨日で14歳。
この子がいてくれたから今の自分があります。
おわり
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コメント
コメント一覧 (4)
修行が足りないなと、まだまだ思いやりとかもっと人として何が出来るのだろうとか、いろいろ考えることが多いな、と改めて思いました。
これからもお体にお気をつけてお過ごしください。そしてこれからも記事を楽しみにしております。
私も若い時からいつかフランスかドイツに住みたいという漠然とした夢を持っていましたが、残念ながらそんな行動力はなく、日常に押し流されてきました。今はもう年なので無理な話です。
フランス語は勉強したいな、と思っているのですが、それもなかなか…(笑)私の場合忙しい訳ではなく体調の問題なんですけどね。死ぬまでにはフランス語覚えたいんですが(笑)
これからもフランスで頑張ってお過ごしください(*^^)v
popeさんとたぶん、日本という国や海外に出ることについて、
近い考えがあるのかな、と思っていましたので、
そんなことを言っていただき恐縮ですがとてもうれしく思います!
流れで今パリですが、アジアも大好きで、
そしてアジアの料理も大好きなので、
もしアジアに住んでいたらアジア料理を作りまくっていたかな、
なんて思います。
フィリピンの調味料お試ししてみたりもするのですが、
まだ今の私にはちょっと難しいのですけど。
でもこれからちょっとフィリピン料理も挑戦していきたいなぁ。
辛いの大好きだし♡
フランスかドイツに住みたいと思ってらっしゃったんですねぇ。
うんうんなんか尾崎さんだとわかる気がします。
私も離婚という大きなきっかけがあって、そして両親ももう亡くなっていたこともあり、出来たことですが、もし離婚はあっても子供がいたり、体調に問題があったり、親の体調に問題があったりだったらフランスには来ていなかったと思います。
行動するにしても人それぞれの事情がありますね。
尾崎さんのように行ってみたかった方や、
これから行くことを考えてる方や、
そして考えたことがなかったけど興味を持った、
という方に少しでも参考にしていただけると嬉しいです。
これからもちょこちょこと体験談と感じたことなどを、
たまにまじめに書いていきたいです。
また読んでくださいね♡