マリー・アントワネットの最後の家プチ・トリアノンを
担当サイトの方でつい最近ご紹介させていただきました。
→フランスハネムーンで絶対行きたい!
世界遺産・ヴェルサイユ宮殿【離宮・庭園編】
この記事を書いている時にちょうど、
マリー・アントワネットが人生最後の2ヶ月半を過ごした
シテ島の牢獄コンシェルジュリーで、
「マリー・アントワネット、イメージのメタモルフォーゼ」
展が開催されていたので行ってまいりました。
初コンシェルジュリー訪問でしたが
ヴェルサイユの歴史を詳しく確認した時期だったので、
とても興味深いものとなりました。
でも今回記事は暗く悲しい内容となりますので、
苦手な方、気持ちが滅入っている方はスルーなさってください。
もともとは中世フランス王国カペー朝(987ー1328)の王宮だった建物ですが、
14世紀後半から牢獄として使われるようになりました。
特にフランス革命後1793年からの2年間は、
「死の牢獄」「ギロチンの控えの間」と呼ばれ、
この牢獄に入ると必ず死刑になると言われていました。
そんな場所に一歩足を踏み入れてまず思ったのは、
たとえ遠い昔でも、王宮だったという雰囲気が
まったく感じられないということ。
美しく整ってはいるけど暗く重くがらんとした冷たい空間で、
こんな場所にいっときでも住みたくない、という印象です。
マリー・アントワネットはこの牢獄にいる間に、
一度脱出のチャンスがありました。
でも最後の最後に監視兵の1人に行く手を遮られ成功しませんでした。
それまでは地上1階にある独房でしたが、
この脱出失敗の後、地下のより暗く狭い独房へと移されます。
今は小さなチャペルになっているのが
マリー・アントワネットが過ごしたその独房です。
いつも2人の監視兵に衝立1枚をはさんで見張られる中、
ベッド、机、椅子、そしてトイレしかないこの小さな部屋で、
好きな刺繍や編み物は禁止されていたため、
唯一許された読書などで時間をつぶしたようです。
中庭がありますが、そこにマリー・アントワネットは出ることは許されず、
ほとんど光を浴びることもなく独房の小さな窓から何とか光を見る生活。
他の囚人は短時間ですが出ることが出来ました。
しかしこの中庭は、死刑を言い渡された囚人が、
ギロチン台に連れていかれる前の待機場所としても使われていたんです。
ここに入った時にはもう体調を崩していましたが
十分な毛布も暖かい服もなくさらに悪化。
食事もあまり喉を通らなくなっていたため
下部消化管の出血がひどくなっていました。
展示ではマリー・アントワネットが処刑日の1793年10月16日の早朝に、
義妹のエリザベートへ宛てた手紙もありました。
優しい義妹への感謝と、子供たちが気がかりなこと、
同じ年の1月21日にすでに処刑になっていたルイ16世のもとへ
毅然とした態度で行く覚悟などが書かれています。
ここにはヴェルサイユで華やかな暮らしをした、
無邪気で活発な王妃の姿はなく、
普通の1人の人間、女性、母親としての
率直で切実な気持ちが綴られています。
しかしこの手紙はエリザベートには届かず、
エリザベートもまた翌年5月に処刑されてしまいます。
そして王政復活後、ルイ16世の弟ルイ18世によって公開されることになります。
死刑執行のため中庭へ出された時は、
もう華やかで輝いていたマリー・アントワネットの面影は
どこにもありませんでした。
身体はボロボロで目もあまり見えなくなっていて、
人の手を借りないと歩けなくなっていました。
37歳でしたが老婆のように見えたとのこと。
当時のマリー・アントワネットが描かれた絵がありました。
この絵の前でしばらくたたずんでいる人を見かけましたが、
私もですが誰もがショックを受けると思います。
これはマリー・アントワネットがギロチン処刑が行われる、
コンコルド広場に向かう時に履いていた靴です。
サイズは23㎝。身長154㎝と小柄だったので足も小さめだったのですね。
そして1793年10月16日12時15分、刑が執行されました
あまりにも哀しい最期です。
ヴェルサイユ、そしてこのコンシェルジュリーを見て思ったことは、
まだ子供の14歳の時に政略結婚でオーストリアからフランスに来て、
慣れない国の窮屈な宮廷生活で、オーストリア女と陰口をたたかれ、
そりゃおしゃれやパーティーが発散になってもしかたないように思います。
けれど王妃がプチ・トリアノンの人口の村里アモーで
子供たちと農民ごっこをしていた時、
本物の農民たちは食べるものさえなく、愛する子供たちを次々に失って
どんなに悲しかっただろう、王室が憎かっただろう、とも思います。
そして最後にマリー・アントワネットも、
取返しのつかない大きな苦しみを受けることとなったという…。
フランス革命は起るべくして起こったのだな、と思いました。
もし、これからヴェルサイユに訪れるという方は、
ぜひコンシェルジュリーも見学されることをおすすめします。
順番はやはりヴェルサイユの後がよいと思います。
住所・・・2 boulevard du Palais 1区
開園時間・・・毎日9時半から18時
メトロ・・・「Cite」「Saint-Michel」④号線
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コメント
コメント一覧 (2)
今は処刑場が公開されているのですね。ルイ16世、マリー・アントワネット、
仕方がなかったこととはいえ、やはり処刑されたのは痛ましいです。
もっと大人になって結婚していたら国民から恨まれるようなことはしていなかったの
だろうか…とも思いますが、そういう時代だったのですね。
まさにフランス革命は起こるべくして起こったのだと思います。
37歳の時の絵、本当に老婆のようで衝撃的ですね。
どんな理由があっても処刑は本当に哀しいですね…。
逃げるチャンスが2度あったものの、1度目はゴージャス仕様の馬車にしたりと、
危機感が足らなかったようです。
大帝国オーストリアの女帝として名高いお母さんのもとで育って何の苦労もないまま、
14歳でフランスに来て王妃になって。
人間の恐ろしさ、おぞましさを学ぶ機会が最後のフランス革命になってしまったのかもしれません。
私も老婆のような王妃の姿は衝撃的でした。
むごいですね…。