パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

14年前の冬、ソルボンヌ大学の教授だと言う男性の家に招かれたことがありまして、その時の奇妙なおもてなしの思い出話です。

その頃私はパリからニースに移ることを考えていて、ニースでの住まいを探していました。

でもニースは行ったことがないし、知り合いもいないので、探す手立てがわかりませんでした。

で、パリにいくつかある日本のフリーペーパーの中の1つに、ニースでアパルトマンを探している、というアノンス(広告)を出しました。

すると連絡が2件来ました。

1件は日本人男性で、彼のバカンス用アパルトマンで、場所はニースの中心地だったのですが間取りがとても狭いわりに家賃がかなり高かったので、お断りしました。

もう1件はフランス人男性で、そこも彼のバカンス用アパルトマンで、場所は中心地から少し外れていたけど2部屋ある間取りで、しかも家賃も良心的だったので、見てみたいな、と思いました。

で、部屋を見たいと伝えると。

僕が案内するからTGV(フランスの高速電車)で一緒に行きましょう、と。

でも会ったこともない人といきなり一緒にTGVで二-スまでの長距離を過ごすのは変だし気まずいし、2人分のTGV代を払うのも大変だし、しかも二-スに日帰りはちょっと難しいかも、と思って。

TGVは高いですし、ニースは日帰りでは行けないので、鍵を預かって1人で行って見てくるということは出来ませんか?

と伝えると。

TGVは自分の分は自分で払うし、僕のアパルトマンに泊まればいいです、と。

そして。

僕は怪しい人間じゃないので安心してください。

ソルボンヌ大学の13区の校舎で教えているので、一度来ませんか?

と、そのアドレスまでメールで送ってきました。

この時点で私も、ちょっとおかしいな、とは思いつつ、でもとにかく部屋を見つけたかったし、職場のアドレスまで送ってきたので、やり取りをやめておけなかったのですよね。

そんなやり取りをしている時期に、ちょうど日本から姉が遊びに来ました。

で、またそのソルボンヌの教授だという彼から、いつ大学に来ますか?

と連絡が来たので。

今、日本から姉が来ているので、アパルトマンの件は姉が日本に帰った後でまた改めて話したい。

と伝えました。

すると、じゃあ、2人で自分の家に来ませんか?

お姉さんとならあなたも来やすいだろうし、ニースのアパルトマンの写真や詳しい話も出来ますし。

と返信が来ました。

それを姉に話すと、怪訝な表情をしながらも、moiちゃんがいいなら行ってもいいけど…と。

姉もパリに来たばかりだし、パリ流的なことがわからないので(それはぜんぜんパリ流じゃなくて彼流だったが)、私にまかせるしかなかったのですよね。

で、私も姉と2人ならいいかな、と。

それにソルボンヌの教授というのがどんな人なのかも興味があったのは否めないし、怪しければ、部屋に入らないで帰ってくればいいかな、とも思いました。

で、行くことを決め、そのように伝えました。

彼の住まいはパリ5区のカルチェラタンにあるムフタール通りで、レストラン、カフェ、チーズ屋さん、パン屋さんなどがひしめいていて、パリの胃袋とも呼ばれております。

でも学生街なので、学生向けの安いお店も多く、ジモティにも観光客にも人気の有名通り。

そんな通りのど真ん中にある彼のアパルトマンに、姉と2人で確か夕方の6時か7時頃訪ねました。

部屋のブザーを押して出てきたのは、ちょっと神経質そうな小柄で痩せたフランス人男性。

雰囲気的には昔のウッディ・アレン(アメリカの映画監督)のような感じだったように記憶しております。

彼はめちゃくちゃ嬉しそうに笑顔で私たちを迎え、部屋に招き入れました。

通されたリビングはかなり広く50㎡か60㎡くらいはあったと思います。

壁はほとんど本棚といった感じでとにかくたくさんの本が並んでいました。

男所帯なのは明らかで、汚くはないけど若干散らかり気味でした。

彼は私たちをソファに座らせると、奥のオープンキッチンでスペイン料理店にあるような大きな生ハムの塊を専用のナイフで薄切りにしたり、ワインのボトルを開けたりして、せっせこアペリティフの準備を始めました。

その間に姉が私にそっと、ねぇちょっと恐いよ。この人変だよ。部屋のにおいも何か変だし。

とめちゃくちゃ不安そうに訴えてきました。

私も、確かに部屋は男所帯の独特なにおいがするし、変な人ではあるけどそんなに悪そうな人ではないな、と思っていました。

そんな風にこそこそ話していると、彼がワインや木のプレートにのせたおつまみを運んできました。

とても張り切っているのが伝わってきました。

そして私たちのためにワインを注ぎ、食べて食べて、と言いました。

私はワインに口をつけ、生ハムをつまみましたが、姉は一切手をつけず口をつけず、彼と視線も一切合わせませんでした。

彼は気を遣って、姉の顔色をうかがったり、姉を気にしながら私に話しかけたりしていましたが、その時はもう姉はあからさまに表情で身振り全体で彼に対し拒絶感を表し、無視を決め込んでいました。

無視された彼はちょっとうろたえていましたが、それでも一生懸命笑顔で話しかけてきました。

で、これ以上姉とここにいるのは無理だな、と思って。

ごめんなさい、もう今日は帰ります。

と彼に伝え、姉に帰ろう、と言って部屋を出てきました。

彼の部屋を出てムフタール通りに再び出た(出れた?)時の、姉の心底安堵した表情は今も忘れられません。

私でさえパリに来てまだ1年も経っていなくてフランス人のことをよくわかっていないのに、ただ旅行でパリに来ただけの姉には、ただただ外国での恐怖体験だったのでしょう。

で、この時以来、このニースのアパルトマンはもう諦め、このフランス人とのやり取りも止めました。

はっきりと覚えていないのですが、お断りの連絡はしたと思います。

これがソルボンヌの教授の怪しいおもてなしでの一部始終です。

今改めて思い出してみると、彼は本当に教授だったとは思っています。

ムフタール通りという立地であの間取りのアパルトマンは、たとえ14年前でもかなりの収入がないと、賃貸でも自分のアパルトマンでも住むのは難しいはずです。

この時からパリのアパルトマンはさらにどんどん価格が高くなったので、今なんか買うのであれば億単位になるかもしれません。

それから思うのは、日本のフリーペーパーを見ているということは、日本通かかなり日本に興味がある人。

フランスは日本&日本人に興味がある人がかなり多いので、彼もそんな1人だったのだろうと思います。

ドアが開いた時の、彼の嬉しそうな表情はとても印象的でした。

日本人女性が2人も来たのですからね。

でも、ニースの僕のアパルトマンに泊まればいい、と言うのはどう考えても普通じゃないこと。

絶対泊まらないけど、万が一泊まっていたら何をしてきたかわからなかったと思います。

で、この後、結局チワワ坊やと一緒に1度ニースにアパルトマン探しに行き、通りかかった不動産屋に飛び込みで入り、4、5軒めくらいで保証人がいなくても借してくれる不動産屋がありました。

そして無事部屋が見つかり、ニースに移ることが出来ました。

でも、そのニースのアパルトマンを出る時&出た後もまたなかなか大変なことがあったのです。

機会がありましたらまたそんなことも書かせていただきたいと思います。

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