今日のパリの最低気温予想は11度、最高気温予想は23度で、お天気は晴れときどき曇りの予報となっております。
パリの中心部、ルーブルやオペラ地区周辺を歩く時、しょっちゅう朝散歩する場所があります。
それがここ、1区のパレ・ロワイヤル(王宮)。
元々は、ルイ13世の宰相リシュリューが購入したホテルを1628年に劇場も備えた豪華な私邸に改築したパレ・カーディナルでしたが、その後ルイ14世が母アンヌと共に子供時代をここで過ごしたためパレ・ロワイヤルと呼ばれるようになりました。
さらにその後公爵であるオルレアン家に渡り、1780年にオルレアン公のフィリップ・エガリテが多額の借金返済のためにこの庭園の不動産事業を展開。
商人たちに貸し出し、カフェ、レストラン、劇場などの娯楽場が並ぶ大繁華街になりました。
警察の立ち入りが禁止だったため、当時の革命家たちのたまり場となり、娼婦たちもたくさんいたようです。
このフォトの真ん中、庭園の中央には1787年に建てられた美しいパレ・ロワイヤル・サーカスがあり競馬が開催されました。
1789年のフランス革命後も娯楽の中心地でしたが、1798年にサーカスが火事で焼失。
そして1863年に賭博場が閉鎖になりついに終焉を迎えました。
162年の時を経た今、レストランやカフェ、ショップ、劇場もありますが、当時の活気ある繁華街の面影はなく、ただただゆっくりと時間が流れる緑豊かなパリの憩いの場となっております。
ここで革命家たちが議論をしたり娼婦たちがたむろしていたというのが、想像してみても想像出来なくて、ちょっと不思議感覚。
庭園を囲む建物は現在、文化省、国務院、憲法評議会などの行政機関になっていて、そこには入れませんが、庭園は無料開放。
当時からの歴史あるレストランも残っていて。
1784年にカフェとしてオープンし、1820年にジャン・ヴェフールによってレストランに改装されたここ「ル・グラン・ヴェフール(Le Grand Vefour)」です。
いつだったかオープン前にこのテラス席で行われていたスタッフさんの打ち合わせを見掛けたことがあるのですが、プロフェッショナルな雰囲気が漂っていて、皆さんビシッとしていらっしゃいましたよ~。
でもこんな歴史的老舗店ですがお値段はそれほどにはお高くありません。
結構前に通った時にメニューを見てみたら、やっぱりお高めだな、と思った記憶があるのですが、コロナ過後お手頃な価格に下げたようでして、火曜から土曜日までは昼&夜共通のセットメニューがあって2品で59ユーロ、3品で69ユーロです。
そのセットは曜日ごとに決まっていて、たとえば火曜は鶏肉系テリーヌ、スズキのロースト、ミルクチョコレートのタルト&キャラメルピーカンナッツ、水曜はホウボウのフィlレ、鶏肉のポワレ、マンゴー&パッションフルーツのヴァシュラン(メレンゲとパイ生地のお菓子)など。
それぞれの付け合わせも合わせて見てみると結構美味しそうですし、メニューを選んだどのお客さまにも同じ品質のものが提供されるということなので安心ですし、夜も同じお値段というのも良心的だと思います。
そしてテラスも店内も当時の雰囲気で素敵。
お天気の良いお昼も気持ちが良さそうだけど、夜も街灯が灯って当時の雰囲気が感じられそうかも、革命家たちの幽霊だって見えるかも。
な~んて楽しい?イメージが沸いてまいります。
HP→Le Grand Vefour
もっとお手頃な方が良いわ、という場合も中庭をはさんでカフェやビストロもあります。
ここで休憩がてらコーヒーやビール、グラスワイン一杯いただくだけでもほっとタイム出来ると思います。
でもパリシェンヌたちは気軽にベンチでほっとタイム。
さりげなくて絵になります♪
私はここで朝散歩してから歩いて10分くらいのオペラ地区に向かったり、セーヌを超えて左岸に渡ったりしますが、ルーブル美術館の観覧やオペラ地区でのショッピングの後、ちょっと一息つきたい時にも便利です。
ちょっとだけパリの歴史の時空を駆け巡る感じも楽すぃで~す。
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コメント
コメント一覧 (4)
オルレアン公のフィリップ・エガリテが借金返済のためにこの庭園の不動産事業を展開
したのが1780年。⇒そしてフランス革命が1789年。
フランス革命より前に…自分の持ちものとも言える庭園を不動産事業を展開するのは
何か意外ですね。ふところが厳しかったんですね。💸
パレ・ロワイヤルの自身の持ち土地を商人に貸出たり、カフェ、レストランなど娯楽場にしたんですね。
この話が私には意外な話でした。
自分の所領はがっちり自分だけで持つのが貴族だと思ってました。
こういう事は、主に貴族社会の崩壊した現代の貴族の末裔がやりそうです。
フランス革命より前に貧乏になりつつある貴族がいたんですね。
フランス革命後、貴族が崩壊気味になり、貧乏になった貴族は沢山いそうだけど、その前から、自分の土地を切り売りしっているっぽい人もいたんですね。
ビックリ…😲
パレ・ロワイヤル・サーカス🎪は、今でもあるかと思いきや、1798年には無いんですね。残念極まりないです。1863年に賭博場が閉鎖で繁華街ムードはないんですね。
でも、今でもレストラン、カフェ、劇場、SHOPもあるんですね。
ここの劇場で上演する物、何か、観てみたいですね~!(^^)!
ル・グラン・ヴェフールは、老舗なのにお値段はそれほどでも無いのはいいですね。
夜も同じお値段というのは良心的な店ですね。
どのお客さまにも同じ品質のものが提供というポリシーはいいですね。⇒一見さんの観光客だかって、露骨に手抜きする店もあるから、イイ考えです。
このあたり、革命家もいたと考えると、面白いですね。フランス革命と密接な歴史がありますね。
ベルばらにもパレ・ロワイヤル出てくるんですね。
フィリップさんは不動産業で相当やり手だったようです。
どうやって作った借金かはわかりませんが、この時代の貴族が自分の土地を商人に貸して利益を得るって発想からして、ちょっと変わった貴族だったのかもしれませんね。
パレ・ロワイヤル・サーカス、私も残念です。
もしあったら、今のパレ・ロワイヤルの雰囲気がまったく違ったと思います。
今の穏やかなのも好きだけど、この緑の中に美しい歴史的サーカスが残っていたら、パリを代表する名所になっていたかもしれません。
カフェなどはもちろん、雑貨屋さんやアンティークショップもあるんですよ。
でもとても地味な感じです。
布のバッグ屋さんのバッグたちは結構可愛かったです♪
ル・グラン・ヴェルフールが昼と夜共通メニューがあってお値段も同じは結構すごいと思います。
パリに来たての頃行った魚介レストランでは、奮発してブイヤベースをお願いしたのですが、それが超不味くて魚介の風味がないと言うか。
後で料理人の子に話したら、おそらく古くなったブイヤベースを出されたのだろうと言っていました。
古くなるとしょっぱく濃くなるイメージですが、逆で味が抜けていくのだそうです。
フランス語出来ないし観光客と思われて(しかもたぶん日本人とわかって)文句言わないとわかってたんですね。
確かに文句言いませんでしたし。
(でも今ならしっかり言います!)
なので統一されたセットメニューの場合いちいちそういったことはやりにくいだろうし、特に観光の人には安心かなと思います。
はい、パレ・ロワイヤルと革命家は密接につながっていますね。
フランス革命の時はさぞかし大盛り上がりしたことでしょう。
パリジェンヌも最後のジャケットのお写真も絵になりますね(いいなぁ)
最後のお写真は景色が映ってるのですか?
アートのようですね
木陰でさりげなくラフに寛ぐ、寛げるパリジェンヌさん、絵になりますよね。
はい、最後の写真はアンティーク屋さんのショーウィンドーに飾ってある当時の殿方のジャケットにパレ・ロワイヤルの庭園が写っております。
ここの庭園はほんと美しいです♪