今日のパリの最低気温予想は-3度、最高気温予想は5度で、お天気はほぼ晴れの予報となっております。
我が家のご近所さんの98歳、いや99歳のムッシューが去年の4月に老人ホームに入所したことをこの記事で書きました。
→花市&購入した日本の植物と98歳のムッシューのその後家の前を通りかかるといつも手を振ってくれたり、元気?と聞いてくれて、顔を姿を見るとほっと癒される優しいムッシューでした。
でもとうとうホームに入ってしまい、その後も実は何度かお隣の家に住む親族らしいマダムに会う度に、ムッシューのことを聞いておりました。
去年の6月に無事100歳を迎えられたことも聞いていて、実は迎えられるのかな、と心配が過っていたので、すごいな、とびっくり嬉しく思っておりました。
つい2ヶ月くらい前にマダムに会った時は、ムッシューは家に帰りたい、とそればかり言っているけどね…もうちょっと無理なのよね…と残念そうに話していて、ああ家に帰りたいんだな、そりゃそうだよな、と何とも言えない気持ちになりました。
そんなムッシューの家に不動産屋さんの「à vendre(ア・ヴァンドル=売り出し中)」の看板が2日前に立てられたのです。
ムッシューの家だけじゃなくお隣のマダムの家も同じ看板が立てられました。
ショックでした。
何があったのかはわからないのですが旦那と、ムッシューが亡くなってしまったのか、または老人ホームの費用捻出のためかね、と話しました。
フランスの老人ホームはとても高いんですよね。
ムッシューとそれほど年代が変わらなくて、歩くのに人の手が必要なムッシューのマダムもいらっしゃったはずなので、どういうことになったのか…。
いつかムッシューのご親族マダムに偶然また会うことが出来たら、と思いますが、でも、どんな事情があるかわからないので、こちらから詳しいことを聞くのは失礼だとも思います。
なので、ムッシューは大丈夫ですか?といつものようにだけ聞こうと思っております。
15年前、旦那が住むパリ郊外のこの街、このカルティエに移り住んできて、顔見知りになったムッシュー。
春夏はよく庭の手入れをなさっていて、そのお庭はほんといつも綺麗に整えられていて、ムッシューの優しく穏やかな笑顔と、手入れされた花々(芍薬、ボケの花、リラ、アジサイなど)で春が来たことや初夏が来たことを感じるのが、ずっと当たり前に楽しみで小さな喜びでした。
でも小さな喜びは重なって重なっていつしか大きな喜びとなっていたんですよね、15年の月日を重ねて。
なので、この時間が終わることが、終わったことがとても悲しく寂しいです。
そして、なんかある意味区切りかな、と思いました。
これと似た気持ちを感じたことが以前1度あります。
学生の時から通い続けていたお茶の水のトリス・バー「まいまいつぶろ」が閉店した後です。
1958年からマスターが長年1人でやっているお店でお茶の水の駅を出たすぐ脇の並びにあって、扉を開けると必ずいつものお馴染みさんがカウンターの手前にいて、そのカウンターをはさんでマスターがいました。
口数のうんと少ないマスターで頷くだけなんだけど、いつしかお馴染みさんの1人になれて、忙しいマスターのタイミングに合わせ、仕事の邪魔にならない程度で少しお話も出来るようになりました。
ウィスキーサワーはいくらだったかな、230円くらい?
とにかく行けばいつもの光景があって、いつもの寡黙なマスターがいて、私にとっては変わらない、でも特別な時間でした。
でもそのマスターが倒れ、その後1度は復帰したけど、結局2006年(確か)に閉店となりました。
それから1年くらい経った頃、今どうなってるかな、と思い行ってみたら、チェーンのカレーショップになっていて、まいまいつぶろの面影は唯一狭い店内そのままの作りだけで、他には何1つもありませんでした。
その時やはり、区切りかな、と思ったのですよね。
そしてその頃から考えていた渡仏をその翌年、実行しました。
深い付き合いをしたわけじゃなくても、詳しいことをわかっているわけじゃなくても、区切りのように感じることが人生にはあるものです。
そんなことが1つ増えたのはおそらく人生後半だからかな、と思い、面白くもあるけれど、せつなくもあります。
でもだからなるべく悔いのないようやりたい生きたいと、改めて思うのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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