パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

週末の独り言

パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は10度、最高気温は15度で、お天気は晴れときどき曇りとなりました。

ティーンエイジャーの頃、かなりぽっちゃりしていました。

恐くて体重を量りませんでしたが、おそらく今より15、6㎏多かったはずです。

自分でも痩せなくちゃ、とは思ってはいたけど、なんせ食欲盛りなので、食べたい気持ちが勝ってしまって、大盛ごはんや大盛パスタ、総菜パンやアンドーナツ(その頃の好物)を3つも4つも食べて、スナック菓子もつまむ、なんてことをしょっちゅうしておりました。

でもある時、電車に1人で乗っていたら、隣りにいた同じ年代の女の子2人組のうちの1人に顔をのぞかれ、のぞいてない方の子が「どんな顔?」と聞き、のぞいた方の子が「目が大きいだけのデブ」と、私に聞こえるように言いました。

こっちは何にもしてないのに、いきなりそんなことを言われ、びっくりしました。

そしてショックでした…。

もう1つ、ショックだった思い出があります。

ずっと仲が良くて、親御さんもよく知ってる友人がいました。

よく一緒に出掛けたので一緒に写真もしょっちゅう撮っていたのですが、ある時、その子が言いました。

家族で写真(その子と私で一緒に撮ったやつ)を見ていたんだけど、moiちゃんって、顔が太ってないからわからなかったけど、足を見ると、結構すごいよね、と皆で話した、と。

いや~、「目が大きいだけのデブ」と言われた時と同じくらい、いやそれ以上に悲しかったです…。

私のいないところで私が写ってる写真を見て(しかも友人はスレンダー)、太ってるね、と皆の話題にされていたのです。

いい家族だったので、それが正直な感想なんだろう、と思い、余計にショックだったのですよね…。

で、その2つがきっかけで人生初の本気のダイエットを開始しました。

熱いお風呂に入りたっぷりの汗をかき、食事はお豆腐と火を通した野菜中心。

それを3ヶ月間続けました。

そしたら、自分が思ってる以上に痩せたようで、会う人会う人に、痩せた~!と言われるようになりました。

中には、大丈夫?なんて言う人もいました。

で、がんばれば痩せられる、とわかってそれからは、少しずつ自分で食&体重のコントロールが出来るようになっていき、さらに少しずつ痩せていきました。

そして、いつもだいたい中肉体形を維持出来るようになりました。

でも「デブ」と言われた出来事も、「足を見ると結構すごいよね、と皆で話した」というそのシチュエーションと会話も、今だに忘れることは出来ません。

そう言えば昔、マラソンの高橋尚子さんが2000年のシドニーオリンピックで優勝して、その後ベルリンマラソンでも優勝したりで時の人になり、マスコミの前におしゃれして登場したり、少しふっくらとしたとマスコミに言われていた時期がありました。

その時、前の義妹(前の日本人旦那の妹)が言って、ん?でもそれはおかしくないかな?と、本人には恐ろしくて言えなかったけど思ったことがあります。

それは、義妹は、キューちゃん(高橋尚子さん)がマラソン選手なのになんか派手になったしデブになっちゃって、と言ったのです。

でもマラソン選手はおしゃれしちゃいけないの?と思ったし、もっと疑問だったのが、その義妹の方がキューちゃんよりずっとずっと太っていたこと。

ってかキューちゃんちょっと太っても超スレンダーだったし…。

で、義妹が見事に自分のことは棚に上げてることにびっくりだったんですよね…。

ま、でもこういうこと、太ってる太ってないだけじゃなく、よくありますかねぇ。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は7度、最高気温予想は12度で、お天気は曇りときどき雨となっております。

昔から綺麗だけど愛嬌があって可愛らしいな、と思っていた日本のある女優さんが久しぶりにドラマ主演をするというのをネット記事で見ました。

で、テーマも興味があったので観れるなら観たいな、と思い、まず女優さんの名前で検索入力してみたら、表示されたサジェストキーワード枠の最初に「劣化」と出てきました。

正直、またか、と思いました…。

年を重ねてきた有名人、特に女性有名人に多いようですが、すぐに劣化劣化と言われてしまうの、なんか気の毒です…。

若い頃と変化があるのは当たり前だし、しかも今もとても綺麗な人がほとんどだし、こう言っちゃなんだけど、たぶん同じ年代の一般人よりず~っと綺麗で可愛くて若々しい人がほとんどのような気がします。

それとも有名人は少しでも変化があったら許されないのでしょうか…。

で、ふと、フランスでも同じようなことがあるのかな、と思い、若い頃から活躍しているフランスの女優さん何人かの名前をフランス版グーグルで検索してみたら、サジェストキーワード枠に年齢については出てきたけど、ネガティヴなワードは出てきませんでした。

ただしネガティブなワードを追加してまた検索してみると、多くはないけど出てきました。

やはり同じようなことがフランスでもあるにはあるようです。

でもやはり日本ほどには言われないようです。 

とにかく、いくら有名人でも、勝手なことを言われ慣れていても、劣化した劣化したと言われたら悲しいし傷つくだろうと思います…。

それに。

今そのドラマを運よく観れているのですが、女優さん、相変わらず綺麗で、今週なんかほぼスッピン場面があったけど、メイクしてるのとほとんど変わらないくらい目鼻立ちはっきり!

40代後半のようですが、40代にまったく見えないし、フランスでだったらさらにもっと若く見られると思います。

って言うか、フランスでだったら日本のほとんどの有名人たち、おそらく「劣化劣化」の逆のことを言われるだろうと思います。

フランスでは一般日本人でも実際の年齢よりずっと若く見られますからね。

なのでどんだけ厳しい人、日本に多いんだろう、って思います…。

でも、どうなんでしょうか。

そのネットに書き込む、他人に厳しい人たちはそんなにすごいんでしょうか。

そこがいっつも疑問です。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は12度、最高気温は18度で、お天気は曇りとなっております。

ここ数年の間に、友人の親御さんが要介護になったり、亡くなることが続いております。

でもその友人たちが中年になったので、その親御さんに何か起こってきたり、介護が必要になってくるのはしかたないこと。

皆それぞれに家族間のことも含め、複雑な思い、悲しい思いを経験しているようです。

私の場合は父が26年前に、母が19年前に亡くなったのですが、親を亡くすのが周りの友人たちより結構早くて、介護もその分早くに経験しました。

特に大腸癌を患って人工肛門になった母の介護は、仕事もしていたので本当に大変で、精神的な疲れと肉体的な疲れで、がんばって食べても人生初の30㎏台まで体重が落ちたくらいでした。

家族間で介護についての衝突も何度かありました。

その時に言われた「やれることをやる」という言葉は今でも忘れられません。

介護をやってみると、皆が「やれることをやる」と言っていると回りません。

なので結局その回らない分を「やれることをやる」以上にやる性格な人に負担がかかってきます。

それ以来「やれることをやる」という言葉が好きじゃなくなりました。

でも今は思います。

家族でも考えが違うのは当たり前だし、それぞれが自分が正しいと思っているので、自分の思う正しさを押し付けられはしないな、と。

そして押し付けようとしても結局平行線のままでした。

そんな介護経験から19年経って今フランス暮らし。

母の息が止まる瞬間、命が終わる瞬間を目の前で見て、自分の死をも見た気がして、やりたいことはなるべく早めにやろう、と思いました。

それが自分が渡仏を実行する大きな力になったように思います。

もし父か母かどちらかでも生きていたら、私は海外に住むという長年の夢を叶えていなかったかもしれません。

もし渡仏していなかったら、今どんなふうに生きていたのかな、と、ときどき思うこともあります。

それはそれでまた別の幸せを見つけていたかもしれません…。

でも、夢を叶えられた今がやっぱりベストです。

なので 私の場合は父と母が、あたしたちは一足先に空にいくから、あなたは夢を叶えるために行動しなさい。

と言ってくれたと思っております。

子供の頃から星にしょっちゅう願いをかけていたのは、お父さんとお母さんが長生きして、1日でも長く一緒にいられますように、ということでした。

でもその願いはまったく叶わず、2人共長生きしませんでした。

けれど、それが悪いとかではなく、父と母の人生はそうで、私の人生はこうだったと思っております。

今は星を見上げると、もう願いはかけなくなり、いろんなこと全部ありがとう、と思うようになりました。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は17度、最高気温は24度で、お天気は曇りとなりました。

身近で留学した最初の人は、年が離れた高校生の従姉でアメリカのサンディエゴでした。

向こうの学校を出てそのまま就職し、就職先で日本人の男性に出会い、結婚しました。

その他には、同級生がやはりアメリカに留学したり、バイト先で出会った女の子はオーストラリア留学を目指していてその資金を貯めるためのバイトで、休憩時間にいつも英語の勉強をしていた姿を今も覚えております。

彼女は資金が貯まった時点ですぐバイトを辞め、本当にオーストラリアに旅立ちました。

で、その頃の私ですが、留学と聞いてもただ、すごいなぁ、としか思わず、自分が行くなんてことはまったく考えたことはありませんでした。

なぜなら、海外に行ったことがなかったからです。

私が初めて海外に行ったのは周りの友人たちよりちょっと遅くて働き始めてから。

仲の良かった友人3人とのポルトガル旅行でした。

その旅行は、飛行機のチケットとホテルがセットになっていて、向こうの空港に着いたらあとは自分たちでホテルに向かい、自分たちで行きたいところに行くというもの。

添乗員さんはつきません。

なので、真夜中のタクシーでぼられそうになったり、カフェでは実際ぼられたり、電車ですられそうになったりと、ちょこちょこいろいろありました。

でもリスボンはポルトガルは、どこか懐かしい素朴な美しさがあって、毎日お天気で食事も美味しくて、しかも物価が安くて、とにかくものすご~く楽しかったのです。

世界が変わるくらい!

その旅行から日本に帰ってきて家に着いた途端、すぐポルトガルに戻りたくてしかたなかったくらいです。

それが私が海外に住んでみたいと思うようになった始まり。

初海外で目覚めたのです。

それから毎年ポルトガルはもちろん、他の国にも行くようになりました。

リュック1つ背負って旅先で宿泊先を探して、という1人旅もするようになりました。

でも結局、住むための行動はせず、付き合っていた人との結婚を選びました。

選んだものの、どこかでず~っと諦め切れず、離婚した時、かなり遅くなったけどやっと実行しました。

そして今があります。

(ここでの説明は要らないと思いはしょらせていただきました)

遅くはなったけど、実行して本当に良かったと思っております。

でももしもっと若い時に海外旅行に行っていたら、もっともっと早い時期に自分が海外が好きになることに気付いて、結婚せず、早めに住むことを実行出来たかも、と過ることがあります。

若かったらやはり挑戦出来ることの幅がもっとぐぐんと広がりますからね。

なので、人生の中のなるべく早い時期にとにかく海外に行ってみることは悪いことではないかな、と経験してみて感じております。

行ってみて、海外に興味を持ったり私のように住んでみたい、と思う人もいれば、やっぱり住むのは日本がいい、と思う人もたくさんいると思います。

それを知るだけでも大きい。

でも。

若い時の方がより良いとは思うけど、若くなくてもやはり夢を叶えたいと思って実行することは、決してマイナスにならない、と自分がやってみて思います。

若い時よりさらに大きな勇気は要るけど、本当に遅すぎた時になって後悔するのが1番もったいない。

自分の人生は自分のもので、たった1度だけで、しかも結構短いですからね…。

話を最初に戻しますが、サンディエゴに留学して日本人と結婚した従姉は、その数年後、旦那さんの地元の長野に一緒に帰ってきて、従姉は大手宅配会社に就職しました。

でも旦那さんが結構早くに病気で亡くなってしまい、その後2人の子供が支えになってくれたようです。

海外に早く出る人、遅くに出る人、帰る人、残る人。

人生はいろいろです。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は13度、最高気温は27度で、お天気は晴れとなっております。

母が病院で亡くなるまでの数日間の光景を思い出し、もし自分の最期も母と同じような状況になったら、と、ときどき過ることがあります。

その時の母は意識が朦朧とする中、ずっと妹である叔母とだけ話していました。

話はすべて母と叔母がまだ若くて北海道で2人で教師をしながら一緒に暮らしていた頃のこと。

〇〇ちゃんや〇〇ちゃん(生徒たちの名前)たちと皆で一緒によく川へ行ったね。可愛かったね。皆元気だよ。良くなったらまた皆に会おうね。

と叔母が話しかければ。

母は目を閉じたままで苦しそうに息をしながらも、楽しかった~。皆に会いたいよ~。と。

また2人で一緒に暮らしたいね。あの頃はほんと楽しかったね。と叔母が話しかければ。

母は、楽しかった~。また一緒に暮らしたい~。と。

その時の母は自分の青春時代のことばかり思い出しているようでした。

子供である私や姉もそばにいたけど、私たちはその光景をただ見守るだけで、母と叔母の間に入ることは出来ませんでした。

その時、母の人生の中で1番楽しかったのはきっとその時だったんだな、と思いました。

悲しい気持ちはなく、むしろ納得という感じでした。

なぜなら、子供はもちろん可愛かったと思うし、私自身とても愛されて育てられたと思うけど、いつまでも可愛いままじゃないし、思春期は反発もたくさんしたし、大人になってからは大人対大人。

たとえ血がつながっていても親子でも、大人対大人は難しい面がたくさんあります、ありました。

なので幸せだったとしても、人生で1番楽しい日々とはまた別かもな、と思ったからです。


数日前に長年の友人から久しぶりにメールが来ました。

渋谷で映画を観る前に2人でスパークリングワインのフルボトルとピザをさくっと飲んで食べたこととか、「父帰る(ロシア映画)」は良かったね、と語り合ったことなど。

2人で一緒に出掛けた時のことを今も良く思い出しているよ、と書いてありました。

でも私は一緒に出掛けたことはよく覚えているのですが、スパークリングワインとピザも「父帰る」について語り合ったことも思い出せませんでした。

彼女は今、ご家族の体調が良くないようなので、人生で1番楽しかった日々というわけじゃないけど、家族の心配や不安がなくて、彼女も私もシングルで毎日を普通に楽しんでいた日々のことを懐かしく思い出すのかな、と思いました。


で、私の1番楽しかった日々はいつかな、人生の最期に思い出す日々はいつかな、とたまに想像するのです。

それは、フランスに来てからの数年間かも、と思っております。

長い間の夢だった、海外で暮らすことがやっと実現し、しかも想像を遥かに超えて、フランスでの暮らしが楽しかったからです。

日本から一緒に連れてきたチワワ坊やと2人(匹)ぽっちで、その時も先のことも不安だらけだったけど、その不安と同じくらい毎日が新鮮でワクワクして期待がいっぱいの日々でした。

スーパーで愛想のないレジ係りの人が片手でお菓子つまみながら仕事してるのもびっくり新鮮だったし、片手にバゲット持ってスタスタ歩いてるパリジャンを見るのもイラストみたいで面白くて新鮮。

日本のように安全ではなく、とにかく自分のことは自分で十分注意しなくてはならないことさえも新鮮。

吸い込まれそうなくらい海のように真っ青な目の色で、腕にたくさん注射跡の残っているホームレスが物乞いしてきた時はさすがに恐かったけど、でも恐さだけじゃない不思議な何かがありました。

知ってる人が誰もいないニースに移った時は、2ヶ月間くらい話し相手はチワワ坊やだけで孤独だったけど、自分で選んだその孤独は心地良さがありました。

その後友達が出来て彼が出来て、結局どこの国の人も変わらない、結局人。

でもやっぱり国で違うのも確か。

と知ったのも、日本にいた時には知らなかった発見でした。

でもずっと自分が知りたいことだったように思います。

とにかく、日本とフランス、まったく違う世界で、なんだかフランスで別の人生を生きているように思えました。

そして、日本にいた時の自分の人生は別の自分が生きていたような感覚になっていきました。

それは今も続いていて。

そのせいなのか、フランスに住む今の自分が1番懐かしくて楽しかった日々は、フランスに来てからの数年なのかな、なんて思っております。

日本に帰れば日本にいた時の自分に戻って、懐かしさがこみ上げてきて胸がいっぱいになるんですけどね。

もう両親がいなくて日本にあまり帰らないので、余計にそう思うのかもしれません。

でも、人生で1番幸せな日々は、と言うと間違いなく今です。

ワクワク感や新鮮さはもうあまりないけど、旦那とわんこたちと暮らす平凡で平和な今が1番です。

フランスにやって来た15年前よりずっと日本の食材も手軽に手に入るようになって、恋しかった日本食もいろいろ食べれますしね。イェイ。

もう人生の冒険は十分満喫したので、思い出で満足です。

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