パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

フランスの不思議

パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は-1度、最高気温予想は4度で、お天気はほぼ晴れの予報となっております。

雨の日以外は基本的に毎日わんこ4ぴき散歩に行っているのですが、その際出くわした最近のちょっとした話を2つほど。

その①

散歩中、道でわんこがカカ(うんち)をしたので、持参のペーパーでカカをとり持参の専用カカ袋に入れたのです。

そしたら向こうの方から中年のアジア男性が私に向かって足早に近づいてきて。

あなたは日本人ですか?と聞くので、そうです、と答えると、その場でその男性に手を合わされ拝まれました~。あはははは。

なので私、あ、いや、はい、どうも、みたいな感じで通り過ぎようとしたのですが、男性、拝みながらついてきた~。

で、いや、私についてきても何も御利益ありませんから、思い、若干恐さもあって、わんことスタスタ早歩きでその場を去りました。

フランスではフランス人はもちろん他の人種の人でも自分のわんこのカカをとらない人がまだまだ多く、そしてフランスでも日本人はマナーが素晴らしいとたびたび称賛されているので、カカをとっている=もしかして日本人か?と思ったのでしょうねぇ。

そしたら、その後またその通りで会ったのですが、男性が目をキラッ。とさせて話しかけてこようとしたので、ボンジュールだけ言って、逃げるようにまたその場を後にしました。

そしたら、ら、今度は駅のショッピングモールで会ったんです~。

そしてまた彼の目がキラッ。となったので、申し訳ないけれど気づいていないふりして通り過ぎました。

ちょ~っと変わった人っぽくて独特なので、立ち話でも親しくなるのは避けた方がいいかな、なんて思っちゃったんですよね。

その②

散歩中、ベビーカーを引いた若いママさんとすれ違って目が合ったので、笑顔でボンジュール!って言ったら、ママさんも、ボンジュール、と返してくれました。

パリ郊外や地方は、見知らぬ人でもちびっ子でも道ですれ違うと結構、ボンジュール!って言ってくれて、素敵なことだな、と常々思っているのです。

なので私もマネして、怪しい人(特に男性)以外には目が合ったらなるべくボンジュール言うようにしています。

それでママさんにも言ったわけですが。

そしたらそのママさんが立ち止まって、マダム、と話しかけてきて、このへんでアパルトマンを貸してくれる人を知らないですか?と言うので、いや、知らないです、ごめんなさい、と伝えました。

突然だったので、私もちょっとびっくりしたし、ほんとに知らなかったこともあり、そう言いました。

で、その場を後にしました。

そしたら2週間後くらいにまたそのベビーカーママさんに会ったので、ボンジュール!と言ったら、同じように彼女もまたボンジュール、と返してくれて。

そしてまた、マダム、このへんでアパルトマンを貸してくれる人を知らないですか?と。

これで2度めだったし、ベビーカーの可愛い赤ちゃんがいるのにも関わらず、彼女の様子がどこか元気がなかったので気になって、知らないけれど、なぜ探しているのですか?と聞いてみると。

半年前にアルジェリアから旦那さんと赤ちゃんとフランスに来たのだけど、今暮らしているアパルトマンが高過ぎて大変なんです、と。

彼女はヒシャブ(イスラム女性が頭や身体を覆う布)をかぶっていなかったし、顔立ちも言われてみれば少しエキゾチックっぽいかも、という感じだったのでアルジェリアというのは若干意外でした。

(なのでもしかしたらベルベル系かユダヤ系とか混ざっているのかも)

で、何部屋でいくらなんですか?と聞くと、小さな居間と寝室で950ユーロだと、悲しそうに言うのです。

950ユーロにびっくりしましたよ。

パリ市内ならわかるけど、パリ郊外のしかも庶民的なこの街で2部屋でその値段というのはちょっと普通じゃありません。

なので、それは高過ぎでおかしいですね…と言うと。

旦那さんが就労ビザを持っていなくてノワール(労働許可のない状態で働くこと)なので、不動産屋さんで借りることができず、しかたなくフランス人家主さんのその部屋に住んでいること。

旦那さんはアルシェリアでは電気工事の仕事をしていて、フランスでも電気工事の仕事をノワールでやっていること。

ネットでも毎日探しているけど、見つからないことなどを話してくれました。

私も元留学生で、フランスで就労ビザを取るのがどれだけ大変かいろんな人の話で知っていたし、日本人の多くの知り合いたちがノワールで働いていて私もノワールでバイトしていた時期があるし、それからフランス人だけじゃなく在住日本人の悪徳家主の話もたくさん聞いていて私自身も日系不動産屋でひどい対応された経験があるので、彼女の気持ちがよ~くわかりました。

で、ふと、我が家の通りに外国人ばかりが住んでいるアパルトマンがあることを思い出し、それを話してみたんです。

そしたら彼女が場所を知りたいと言うので、一緒に向かいました。

着いた時ちょうど住民女性が出てきたので声を掛けると、私フランス語わからないの、とだけ言ってさっさとどこかへ行ってしまいました。

まるでフランス語で話かけてくる人は相手にしないわ、といった感じで、その塩対応に苦笑いしちゃいましたよ、ここはフランスなのに…。

その後は誰も出てきそうになかったので、外に出たらここをしょっちゅう通るようにして、住民さん見かけたら、とにかくアパルトマンについて聞いてみたらどうでしょうか?と言うと、ママさんも、そうしてみる、と。

そして最後に、何か電気工事で必要になったら連絡ください、私もお掃除とか何か出来る仕事やります、と言って旦那さんの名刺を渡してくれました。

で、がんばってください、と伝え、私は家に帰ってきました。

その後旦那にその話をし、何か電気工事の仕事ない?と聞くと、ない、と。

旦那は電気系も含めほぼほぼ自分で出来ちゃうんですよね。

で、知り合いで電気工事の社長さんとかいないの?と聞くと、いない、と。

ちょっと~、もう少し考えてあげてもいいじゃないのよ~。

若いパパとママがフランスで生きることを決めたんだからさ~。

と思いましたよ~。

ま、フランスは移民がとても多いので、全部いちいち相手にすることは出来ないってことがあるのかもしれないけれど。

あれからちょっと経ったのですが、それ以来あのママさんには会っていません。

とにかく家賃の安いアパルトマンが見つかっているか、旦那さんの仕事がいい方向に向かって’いるといいんですけどねぇ…。

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今日のパリの最低気温は2度、最高気温予想は5度で、お天気は雨となっております。

フランス生活17年めなのですが、このブログで何度か書いておりますが、本当はポルトガルに住みたかったのです。

初めての海外旅行がポルトガルで、青空日が多く穏やかな気候で食べ物も美味しくてしかも物価も安くて、最初に行った時からその後もずっと1番好きな国だったから。

でも日本からポルトガルまでの直行便がなく、一緒に連れていくチワワ坊やが乗り継ぎでもしかしたら貨物室の方へ移動になるかも、と航空会社に言われ、それは絶対無理だったので行先をフランスのパリに変えました、かなりあっさりと。

もちろんポルトガルに住めたらベストだったけど、とにかく海外に住んでみたかったのでパリでも良かったのです。

そして2008年の4月初旬にパリにやってきました。

その年のパリの春夏は青空の日が多く、しかも湿気がなくカラっとしていて爽やかなので、こんなにパリの春夏って素敵なんだな、と思いました。

旅行でパリに来ていた時は毎回冬だったんですよね。

しかもパリは梅雨ないし、たとえ雨が降ってもほとんど小雨でずっと降り続くことがありません。

なので傘を差さない人もたくさん。

実は私はパリに傘を持ってきていなくて、来ても、その微妙な小雨だったので、パリに来て半年間傘を持っていなかったのです。

でも日本に帰る子がいてその時に傘をもらいました。

あればやはり便利でしたよ。うひ。

で、そんな初めての美しいパリの春夏が終わり初秋を迎えると、秋のパリもシックでいいんですよね。

お天気は良くないことも多いのですが、そんな曇り空や色づいた紅葉がこれまたパリに似合うんです。

春夏も良いけどパリは秋も素敵だな、と思いました。

でも11月に入ったら、ほとんど青空の日がなくほぼ毎日がどんよりした灰色の曇り日が続きました。

それでもやはり、灰色曇り空もまたパリに合うなぁ、アンニュイだなぁ、なんて思っていました。

その年の冬はめっちゃ寒くて結構雪が降りました。

でも渡仏前に、パリ留学なさったイラストレーターさんの本の中で、雪の日のメリーゴーランドの可愛らしいイラストを見て憧れていたので、カメラ持ってアパルトマンから1番近いメリーゴーランドへ颯爽と向かったりしておりました。

友達と食事の約束をしていた日も大雪で、吹雪く中凍えそうになりながら約束場所へ向かったのを、今でも覚えております。

さすがにあれはキツかったですけどね。

でも春夏秋冬のパリというものを思いっきり満喫していました。

とにかく初めての海外暮らしで、そんなお天気だって住んでるからわかることなので楽しかったのです。

ところがあれから17年経って、あの時想像しなかった、あの時とは違うパリ、フランスになりました。

それはとにかく雨雨雨が多いこと!

先週も今週もですが、とにかく雨がしとしと降り続いていて、何日光を見ていないことか。

今、春なんてまるで日本の梅雨に近くて、ここ数年春の庭はいつでもぐちゃぐちゃ湿っているし(今もですが)、冬春だけじゃなく1年を通して雨が多く、どこかの地域でいつもだいたい洪水被害が起こっている状態。

2週間前にはブルターニュとノルマンディーが大雨&長雨で浸水被害が起こっていたし、少し前にはマルセイユの中心街が浸水していたし、2度3度洪水が起こっている地域もあります。

今じゃもう傘を持っていないなんてあり得ませんよ…。

それに雪もほとんど降らなくなりました。

去年の今頃久しぶりに雪が降り積もった時は新鮮で、カメラ持ってフォトしに行ったくらいです。

その時に旦那が、30年くらい前の今頃はこうしてしょっちゅう雪が降っていた、と言っていたし、今みたいにしょっちゅうどこかで洪水というのもなかった、と言っておりました。

でもフランスだけじゃないんですよね、この天候の変化。

住みたかったポルトガルでも少し前に洪水が起こっていたし、スペインやイタリア、ベルギー、ドイツなどのヨーロッパ、それからアメリカ大陸、そして忘れちゃならない日本も含めたアジア諸国もで、多くの国々で被害が起こっております。

世界中が大変化中です。

でもお天気の悪さにじとじと雨まで加わっちまったフランスの長~く続くこの悪天候、じわじわかなり応えます…。

もう、秋のパリはシックだわ♡なんて思ったり、雪が降ったらメリーゴーランドへGO!なんて気持ちにはまったくなりません。

んにゃろ~、この天気、雨、暗さ、どうにかなんないか~い、と毎日思っております。

でも、渡仏してきた時は17年後にフランスにまだ住んでいるとは思っていなかったし、何よりパリに決めたのは自分なので仕方ないんですけどね。

最初にお伝えしましたが今日も雨。ふぅ~。

サンシャイ~ン、カンバッ~ク!

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は1度、最高気温予想は7度で、お天気はほぼ晴れの予報となっております。

前回記事の続きとなります。

名作映画の中の俳優と不思議な再会1

IMG_7147

お墓を目の前にしても、刻まれたその名前を見てもまだ実感がわきませんでした。

でも間違いなくあの映画に出ていた彼と同じ名前が刻まれていました。

フランスのお墓は亡くなった方の顔写真や似顔絵が入っていたり、好きだったものが描かれていたりと自由でいろんなスタイルがありますが、彼のお墓はとてもシンプルでした。

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家を出る時に庭の花を摘んできたので、半分を彼のこのお墓に、半分を旦那の奥さんのお墓に置かせていただきました。

墓地の列には番号が記されているので、次回からはもう迷うことなくお墓に来ることが出来そうです。

帰り道、本当にあったね、と旦那に言うと、旦那もうんと頷きました。

もしあの夜あの映画を観ていなかったら私たちきっと一生知らないままだったね、と言うと、旦那もまたうん、と。

あそこに埋葬されているということはこの街の住人だったのかな?と言うと、おそらくそうだろうね、と。

煙草たくさん吸ってたのかな?と言うと、さあね、と。

家に帰ってきて夜ごはんの時にもワインを飲みながら、また話して悪いのだけど話してもいい?と旦那に聞くと、いいよ、と言うので。

日本で子供の頃観て心に残っているフランスの名作映画に出ていたあの人がと思うと不思議過ぎるのだけど、あそこに眠っているんだよね?と言うと、旦那が、そうだね、と。

それほどの年齢じゃなく癌で亡くなっていることはとても残念なのだけど、でも変な言い方になっちゃうんだけど、こんな偶然って私にとってはちょっと奇跡に近いかも、と言うと、旦那は微妙な表情を浮かべはしたけど、でも何となく言いたいことは伝わったようでした。

サイトでさらに知った情報によると、その映画以降は次第にTVへと移り、印象では地道に活動なさっていたようでした。

奥さんのことはわからなかったのですがお子さんたちがいらっしゃるようです。

でも亡くなる前の数年間の情報はまったくありませんでした。

その期間もきっとこの街での数年なのでしょう。

もしかしたらご家族は今もこの街に住んでいるのかもしれないし、そこから墓地に来てお手入れなさっているのかもしれません。

ファミリーネームを検索すればわかるかもしれませんが、わかっても、ただの恐い変なアジア女になっちまうので何もしようがありませんが…。

旦那がネットで彼の写真をいろいろ探してくれまして40代くらいまでのものでしたが、面影がしっかり残っておりました。

で、この数日の間、この不思議な再会について思いを巡らせております。

私が子供の頃は今のようにネットがあったわけじゃなく、海外旅行も気軽に行ける時代ではなく(家庭事情にも寄ると思いますが)、フランスは本当に遠い外国でした。

子供の感覚的には別の星的な感じだったかもしれません。

そんな中で好きでTVでしょっちゅう観ていたフランス映画というのは、日本とはまったく違う風景で顔がまったく違う西洋人が出てきて、鮮やかだったり華やかだったり白黒の儚さや哀愁だったりで、私にとってはどこか幻のような夢のような、そして尊さもある世界でした。

今の時代のように俳優さんが舞台挨拶したり宣伝でTV番組に出てくるようなことも細かな情報もほとんどなかったし、ましてや外国作品なので、そのフィルムの中の世界がすべてでした。

その中にいた人が突然、日本からフランスにやって来た私の2024年の現実の暮らしの中に現れたのです。

時期は重なっていないけど、同じ通りを歩き同じ風景を見ていたかもしれません。

同じスーパーに行っていたかもしれません。

同じマルシェに行っていたかもしれません。

いやおそらくマルシェは行ったことがあったでしょう。

パリ市内の世界的有名なスターたちが眠る墓地にもよく行くしその時も感慨深いものがあるけれど、それとはまた違う気持ちで、自分にとっての特別な宝物が1つ増えたように感じております。

フランスに来たから、そしてこの街に住んだから(旦那のおかげ)出会えた再会です。

なので、ほんとは最初はポルトガルに住みたかったけど、私はフランスで良かったんだなぁ、と改めて思っている2024年の11月の終わりです。

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温予想は1度、最高気温予想は8度で、お天気は晴れときどき曇りの予報となっております。

子供の頃観て胸を打たれ、ずっと心に残っていたフランスの名作映画が、数日前の夜TVで放映されていました。

パソコンの置いてある部屋でたまたま旦那がチャンネルを合わせたのですが、ああ懐かしい、やっぱり素晴らしい映画だな、と改めて感じながらパソコンしながら、旦那と観ました。

そして、その映画に主演していた若い俳優さんについて、子供の頃観た時も思ったけど、控えめにナイーブに演じていて、しかもこんなに綺麗な人だったんだ、ということも改めて感じました。

で、彼の名前は何ていうのだろうか、今も生きているのだろうか、とふと思い、その場でネット検索してみました。

するとフランスのサイトでいくつか情報が出てきたのですが、すでに結構前に癌で亡くなっておりました。

なのですが、埋葬地を見ると、ほんとびっくりだったのですが、我が街の墓地だったのです。

しかも旦那の亡くなった奥さんと同じ墓地だったのです。

また言っちまうけど、ほんとびっくりして二度見し、すぐに旦那にも確認してもらいました。

間違いなく我が街の、旦那の亡くなった奥さんと同じ墓地でした。

で、週末に旦那と墓地に行ってみました。

そして2人で手分けして端からお墓を1つ1つ確認していったのですが、でもなかなか見つからず途中から、ほんとにあるのかな…との思いも過りました。

でもそう思った時、旦那があっさりと「あ、ここだね」と見つけました。

IMG_7147

旦那の奥さんのお墓参りに来る時にしょっちゅう通りかかっていたところにありました。

奥さんのお墓とは20mも離れていない場所です。

お墓は綺麗に手入れされていて、鉢植えの生花とシクラメンが捧げられておりました。

フランスは毎年11月1日が「諸聖人の日(Toussaint)」でお墓参りに行く習慣。

なのでご家族が来て、お掃除してお花を飾ったのだろうな、と思いました。

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今日のパリの最低気温予想は1度、最高気温予想は12度で、お天気は晴れときどき曇りの予報となっております。

前回記事の続きです。

恐い目に遭いました

人気のある大通りに出て橋を渡ったら道もわかったし人通りもあったので、一緒に歩いてくれたマダムに「ありがとうございました、私はここからなら道がわかるし人もいるので急いで家に帰ります」と伝えました。

でもマダムが、今はここも歩かない方がいいからとにかく私と一緒に行こう、と。

確かにまだまだ不安で恐かったので(超)そのままマダムについて行くことにしました。というか流れになりました。

途中でマダムの携帯が鳴って、誰かとポルトガル語で話していました。

しばらく歩き続けると、静かな住宅街の一軒家の前で女性が待っていて、マダムと女性がお互いに笑顔で手を振り合い、マダムが、娘よ、と私に言いました。

そしてその娘さんと私、お互いにボンジュールと言い合った途端すぐに娘さんが、何があったの?とほぼほぼネイティヴなフランス語で私に尋ねました。

マダムが携帯で話していたのがこの娘さんで、私のことをすでに話していたようでした。

なので、通りかかった車の中で男が1人で…と話し出すと、娘さんがすぐ想像ついたようでうんうんと頷き、それで?と。

で、その後男が車で横づけしてきて「マダム、マダム、ごめんなさい」と声をかけてきたので悲鳴を上げて逃げたけど…と言うと、娘さんが、追いかけてきたのね、と。

ざっと説明し終わると、娘さんがすぐマダムにポルトガル語で説明をしていました。

するとマダムはショックを受けたようで言葉に詰まり、何とも言えない表情をして私を見つめました。

おそらくマダムは通りで何があったのかをちゃんと聞きたかったこともあって家まで私を連れてきたのかも、とこの時思いました。

もう1人の娘さんがその通りに住んでますからね、お母さんは心配でしょう。

なのですが、その界隈は私がまったく来たことがない場所だったし夕暮れが始まっていたので、それまた不安が過っていました。

で、娘さんに私の街までの道順を詳しく教えてもらい、がんばってね、と勇気づけられ、最後にマダムに、本当にありがとうございました、と伝えると、マダムがまた何ともいえない微妙な表情を浮かべたので、笑顔を見せて、がんばります!と伝え、そして教えられた道順を足早に歩き出しました。

マダムと一緒にマダムの家に向かっている時もまだ恐くて何度も後ろを振り返ったのですが、また1人になって、しかも知らないカルティエなので、静かな住宅街でしたが再び恐怖がわいていました。

それに実は私、携帯電話もお財布も持ってきていなかったのです。

この日だけじゃなくいつも1人散歩の時は、万が一引ったくりに遭ったら、ということを考えて(2011年に引ったくりに1度遭っているので)、コンパクトカメラだけポケットに入れて歩いているのです。

もうぜんぜん若くないので、まさか変質者に遭うまでは想定していなかったのですよね…。

なので旦那にも警察にも連絡出来ないし、バスにも乗れない状況だったのです。

おばちゃん甘かったです…。

なので後方から車の音がするたびにビクッとしながら、それが黒っぽい乗用車だとさらに慄きながら、音がしなくてもしょっちゅう振り返りながら、とにかくず~っと恐怖に震えながら夕暮れていく街を1人歩き続けました。

そして、あの黒い車は再び現れることはなく、無事家にたどり着くことが出来ました。

わんこと旦那の顔を見たら心の底からほっとしましたねぇ…。

でも時計を見たら家を出て3時間近く経っていたのでびっくり。

で、旦那にあった出来事を話すと、1人で散歩の時は人通りのないところはもう絶対歩いちゃだめだ、と言われたので、もちろんですよ、とため息つきながら言いましたよ…。

その夜、身も心も疲れ切ってすぐ眠れたのですが、夜中に目が覚めてしまい、あの男のねちっこい眼差しや音もなくすーっと横づけした不気味さや「マダム、マダム、ごめんなさい」やゆっくり追いかけてきた黒い乗用車の光景がフラッシュバックして恐怖で眠れなくなり、そしていろんなことが頭を過ぎりました。

おそらくあいつは女が来るのを車のミラーで見ていたんだな。

私が通りかかった時のあの男の目は「見たかい?」という目だったもんな。

車の中がクリアに見えたのは今思えば窓が開いていたんだな、開けて待ち構えていたんだな。

少し先に林が見えたのであそこを通っていたら本当にヤバかったな。
(これ過った時は夜中の闇の中で思わず小さな叫び声が出てしまった)

でもレイプを狙うなら露出しないでそっと追いかけてくるかもな。

マダムとどこかで別々になってまた1人になるのを待っていたのかもな。

マダムがこの通りはちょっと変なのよと言った時、それ以上言わなかったけど何かあるような感じだったな。

マダムはその後すぐ、男は良くないのよ、と言ったんだっけ。

などなど。

で、この日から数日経ちましてあの時の恐怖感はだいぶおさまってきたのですが、そんな中、ふと思ったことがあります。

それは、マダムの口調からするとあの通りに何かあるのかな、という事。

私が話したような変な男がしょっちゅう出没するなら、そうそうここは変な男が出るのよ、と言うだろうけど、そうじゃなくて、ここの通りは変なのよ、と言ったんですよね。

なので別の変なことがあるのかも、と。

もしかしたら、売春系?

そう言えば一軒、蔦が絡まりまくっていて中がほとんど見えない古く暗い家があったなと。

人が住んでいるのかいないのかわからなくて薄気味悪くて、通りかかった時にその家だけなんか違和感があったんです。

しかも落ち着いてから思い出したのですが、その家の前にあの男の車が停まっていたのです。

なので、あの気持ちの悪い光景を見た後、人がいるかいないかわからないような家だけど、それでも普通の家の前に車停めて昼間っからよくあんなこと出来るな、と思ったんですよね。

あの家の前なら大丈夫なことをあいつはわかっていたのかも。

それにもしあの家じゃなくても、昔マルヌ川沿いでガンゲット(19世紀中頃から20世紀半ばにかけてパリ郊外のマルヌ川やセーヌ川沿いにたくさんあった大衆キャバレー)が盛んだった頃は当然近辺に娼婦館もたくさんあったはず。

マルヌ沿いにガンゲットレストランが今も数軒残っていることを考えれば売春系が残っていてもおかしくない。

もしそうだとすれば、マダムがこの通りはちょっと変だと言った後すぐ、男は良くないのよ、と言ったこともなんか合点がいくな、と。

そんなことを思ったわけです。

で、ネットでmaison close(娼婦館)、○○(街名)、marne(マルヌ)で検索してみたのですが、わかりませんでした。

違法なのでそりゃ出てこないか、と思いました。

ま、私の勝手な想像なのでほんとのところはわからないし、もう2度とあの通りには行きたくないし絶対行きませんが。

それから、たとえ近場散歩でも携帯と小銭は持ち歩こうと思いました。

ちなみにフランスでこれ系に遭遇したのは2度めでして最初はニースからパリに戻ってきたばかりの2010年、場所は13区の中華街でアジア系男でした。

ただそいつは前方からにやにや歩いてきて通り過ぎただけだったんですよね。

いや~、今回の男はおそらく中東系だったと思うのですが、かなりキツかったです…。

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