パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

フランスの不思議

パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

Sushiが世界の食べ物になり、Ramen、Gyozaがこれまたフランスで、世界で人気になっている中で。

コレももっともっと知られたら、RamenにもGyozaにも負けないくらいフランスで人気になっていくんじゃないかな、と普段から思っている日本のB級グルメがあります。

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それがじゃん!日本のカレー「キュリー・ジャポネ(Curry japonais)」です!

日本のカレーをフランス人が好きになる確率がとても高いのは、経験上わかっております。

旦那は飲むように食べているし、残っていれば食べたいと言って、2日間でも3日間でも食べております。

知り合いの日仏カップルの日本人奥さんは、フランス人旦那さんは毎日、日本のカレーでいいと言っている、なんてことも言っております。

我が家はカレー粉で作りますが、市販の日本のルーカレーも、フランス人だ~い好き。

あの味がたまらなく美味しいようですよ。

で、私的にさらにおすすめなのがこのカツカレーなんです!

旦那の知人フランス人が来た時に、たまたまカツカレーを作っていたので出したら「デリシュー」を連発。

フランス人は美味しい時「セ・ボン」と言いますが、それを超えて相当美味しい時は「デリシュー」って言うのすよね。

日本のカレーだけでもフランス人にしたら新鮮美味しいのだろうけど、それに揚げたてサクサクカツがのちゃったもんだから「デリシュー」だったのでしょうねぇ。

アメリカをはじめ世界で、ゴーゴーカレーやココイチ、元祖金沢カレーのカレーチャンピオンがすでに進出していて好調なよう。

これだけフランス人も日本のカレーへの食いつき方がハンパないのに、インドカレー屋はたくさんあるのに。

日本のカレーがまだあまりフランスで知られていないのが不思議です。

でもそしたら、今パリ3区に日本のカレーを出すお店が出来ているよう。

やっぱし。

今パリはラーメン激戦区になっているけど、これから日本のカレーもくるんじゃないでしょうかねぇ。

しかもカレーはベジタリアンカレーも美味しいし、トンカツをチキンカツにしたりビーフカツにしたり、豆腐カツにだって出来ます。

なのでフランスに多いベジタリアンや宗教上豚肉を食べないイスラム教徒の方々にも対応可能。

パリにも日本のカレー屋さん出店して欲しいな~。

日本にいた時はもっぱら神保町のエチオピアカレーに行っていたので、ゴーゴーカレーもココイチもチャンピオンカレーも、自分まだ一度も食べたことがないんですよね。

でもなんかそう遠くない未来に、どこかの日本のカレー屋さんがパリに出店してくれるような予感。

出来たら嬉すぃ。

ちなみに我が家はカレーを作ったら3日間寝かせてから、はじめシンプルにカレーライスでいただきます。

3日間寝かせたカレーは作った日よりぐぐんと美味しくなってますからね。

そしてその後、カツカレーにすることが多いです。

カレーとカツ、いっぺんに作ろうと思うと手間だけど、もうカレーが出来ていればカツを揚げるだけなのでそれほど大変じゃありません。

初めてカツカレーを食べた時は、くどいのを想像していたけど、そんなことなくて、その美味しさに感動したものです。

ああ、無性に食べたくなってきました~。

今週カレー作ることにしま~す♪

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

2008年の4月に渡仏してきたのですが、その時行った語学学校で出会ったリビア出身のクラスメートのことは、その後のリビアのカダフィ大佐政権の崩壊もあって。

フランスで出会った忘れられない人たちの中の1人です。

語学学校のクラスの生徒は、私も含め日本人4人、韓国人1人、南アフリカ人1人、メキシコ人1人、そしてリビア人2人の計9人でした。

最初のクラスメートたちなので、それぞれに印象深い想い出があるのですが。

特に今も、あの人はその後どうしているのだろう、と、ときどき思うのが、結婚していて小さなお子さんが2人いるリビア人のアスマという女性です。

彼女はお父さんが政府関係の仕事をしていて、政府の援助で家族皆でパリに勉強に来ていました。

いつもヒジャブ(スカーフ)を被っていて、どちらかと言うと控えめで、おっとりしていて可愛らしい雰囲気。

でも必ずほのかに香るくらいの香水をつけていて、私たちイスラム女性は香水でおしゃれを楽しむの、と言っておりました。

授業でそれぞれの住まいの話になった時は、クラスメートの1人に、リビアの自宅の敷地面積を聞かれて、正直に答えていたのですが、それがかなりの広さ。

皆が、ええ~!!とびっくりしていたら、困ったような、でもまんざらでもないような(でもそれはまったくイヤな感じではなく)照れた表情をしておりました。

ダンスの話になった時は、ディスコは好きか、行くか、みたいな話になって。

その日ちょうどアスマの隣に座っていた私がそっと、ねぇねぇ、ディスコ行ったことある?と聞いたら。

最初は、ないわ、と言ったのだけど、その返事がどうもあやふやな感じだったので、こりゃ行ったことあるな、と思って。

誰にも言わないから教えて、と言ったら。

(普段からよくアスマと話す方だったので)

実は旦那さんと2人だけで1度だけパリのディスコに行ったことがある、と内緒で教えてくれました。

しかもヒシャブをとって。

で、私が大袈裟に、ええ~!!と驚くと、慌てて、だめだめ大きな声出したら!

と焦って私の口をふさごうとしたので。

大丈夫、誰にも言わないから、と言って2人だけでくすくす笑った、なんてことがあります。

やはり隣同士の席で料理の話になった時は、得意料理は何?と聞くと、ロシア風ポテトサラダよ、とても美味しいの、と言うので。

興味津々で、それ知らない、何が入ってるの?と聞くと、じゃがいも、人参、茹で卵などで、ほぼ日本のポテトサラダだったので、ポテサラって世界中にあるんだな、と知りました。

カダフィ大佐を尊敬してるか、と聞いたこともあります。

彼女は、もちろん尊敬してる、と答えました。

ただ、そう答えた時一瞬迷いが感じられ、でもそれをすぐ自分で打ち消すよう言ったように、私には見えました。

なのでそのことについてはそれ以上聞きませんでした。

一緒のクラスだったのは3ヶ月で、最後の授業の時は、他のクラスと合同で皆で持ち寄りのパーティーをしました。

私は自分のアパルトマン近くの中華総菜屋&レストランのガーリックポテトを買って持っていきました。

美味しい美味しいと大人気であっちゅう間になくなりました。

ちなみに。お店の方がポイントをちょっと教えてくれて再現に成功したレシピがコチラです。

Cpicon パリの中華総菜屋さん再現ガーリックポテト by ルロワ・モワ

お店の味とまったく同じものが出来て、めちゃ美味しいです。

じゃ、話を戻しまして。

アスマはその時アラブのお菓子を持ってきました。

正直それはどれも甘過ぎだったのですが、アラブのお菓子初めてだったので、アラブのお菓子ってこんなに甘いんだ、とある意味新鮮な出来事でした。

最後には全員で「オー!ジャンぜリゼ」を歌ってめちゃくちゃ盛り上がりました。

それが彼女と会った最後の日、だったのですが。

2010年の6月か7月くらいだったと思うのですが、偶然メトロで再会しました。

彼女は2人のお子さんといて、私の方が気づいて声をかけました。

まさか会えると思っていなかったのでびっくりしたし嬉しかったのですが。

彼女はそれほど驚かず、ほとんど笑顔を浮かべず、とても疲れた表情をしていました。

お子さん2人いて大変なんだろうな、と思い、少し話してその場を離れたのですが。

それにしてもちょっと別人のように暗くなっていたので、それが気になりました。

その翌年、カダフィ独裁政権が崩壊し、そしてカダフィ大佐が殺害されました。

そのニュースを知った時はすぐにアスマのことが浮かびました。

パリにまだいたのか、それともリビアに戻っていたのかわからないけど、どちらにしても彼女にとっては人生が180度変わってしまう大きな出来事。

厳しい現実が待っているんだろうし、メトロでの暗い表情も、もしかしたらこのことが関係していたのかな、とも思いました。

彼女のお父さんは政府関係者で、自宅が大きくて、彼女もとても恵まれた環境で、確かにそれらの多くがカダフィ政権からの恩恵だったのだろうけど。

彼女は決して悪い人ではなかったし、その逆と言ってもいいような人だったと思います。

可愛らしい正直な人でした。

彼女と会うまで、イスラム女性は自分と違う世界の人的な感じだったけど、それは違うとわかりました。

そう考える最初のきっかけになったのが、彼女だったように思います。

今もリビアは結局民主化されず混乱が続いているようですが、どこかでご家族皆で元気に暮らしていればいいな、と。

ふとアスマのことを思い出す時、そんなことを思っております。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

この記事で、我が街のアパルトマンに、東欧系住民がものすごく増えたことを書きました。

パリ郊外、我が街住宅街に増えてきた住民とアパルトマン形式

私が今の街に来た2010年には、元々住んでいた東欧系にルーツがある住民は別として。

仕事を求めて東欧から来た人はまだあまりいなかったように思うので、ここ数年の急激な増加には本当に驚いております。

ご近所には東欧系住民ばかりのアパルトマンもあるし、大豪邸を構えた東欧系家族も住んでおります。

そこのお宅は3世代くらいの大家族で暮らしていて、最初に移り住んだ人が成功してご両親を自国から呼び寄せたのかな、なんて思っております。

飛び抜けて家が大きくて、庭もデザイナーが手掛けた感じの庭だったりするので、もしかしたらそれを面白くないと思っている人もいるかもしれません。

で、つい最近、その急激な増加によって起こった現象と、これからのフランスがちょっと想像出来るような光景を見ました。

一見小さな何てことない光景なのですが、それは、我が街のコレージュ(中学校)の前で見かけた女の子のグループたちの姿。

皆がお人形のように綺麗な顔でひと際目立っていたのですが、彼女たちが話しているのが、東欧の言語だったのです。

以前はコレージュで東欧の若い子グループっていうのはまったく見かけなかったのですが、今はもうティーンエイジャー世代にも東欧系が増えてきているということなのですよね。

チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、スロヴェニア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、マルタ、キプロスがEUに加盟したのが2004年。

ブルガリアとルーマニアが加盟したのが2007年。

EUに加盟するとシェンゲン協定により、基本的に検査なしで出入国が出来る査証免除ばあるので、その頃から徐々にフランスに移り住む人が増えていったようです。

なのでおそらく彼女たちのほとんどが、小さい時に親と一緒にフランスに来たか、またはフランスで生まれたかなのでしょう。

フランスで生まれている場合は、東欧系移民の2世ということ。

この東欧系の2世らしきティーンエイジャーグループの出現が、私にはとても印象的と言うか、若干衝撃的だったのです。

これまでは、フランスの移民2世のイメージはアラブ系、アフリカ系、中国系が主で、彼らはすでに3世4世の時代になっていますが、これからはたぶんここに東欧系が加わるんだな、という予感。

そして過ったのが、あと10年20年したら、東欧系3世、その後は4世も続いて、フランスの人種、文化はさらに混ざりまくっているんだろうな、ということ。

そして率直に思いました。

そりゃ、元々が生粋のフランス人だという人は複雑な思いがあるだろうし、それをよく思わない人もいるだろうな、と。

しかもフランスの優しい(甘い?)社会保障は、移民家族の保護も手厚く、外国人も大いに利用出来るしくみ。

これが今のフランスの状況だから、移民排除を訴えている極右のマリーヌ・ル・ペン氏に投票する人が多いのでしょう。

マリーヌ・ル・ペン氏には私はまったく魅力を感じないけど、急激な東欧系住民の増加を目の当たりにして、でも私もフランスに受け入れてもらった移民側の1人として、なかなか微妙な気持ちです。

ですが先週友人夫婦と一緒に食事をした時に話したのですが。

今のフランスは結局多くの人がルーツが違うと。

欧米系でもルーツがポルトガル系だったりイタリア系だったりポーランド系だったりと本当に様々。

なので結局元を辿れば、多くの人が移民の血が混ざっているのですよね。

だけど移民が面白くない。差別してる人もたくさんいる。

そこはちょっとどうなのだろう、という話になりました。

でも、私はフランスに生まれていないので、フランス人の気持ちにはやはりなれないこともわかっております。

なので、さらに移民がどんどん増えているフランスで、正直、興味深さがあるのも否めないのですが、自分なりの見方で、時代の流れを実感していきたいと思っております。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

子供の頃は外国の人は皆、同じに見えたものです。

目は青くて(と思い込んでいた)くっきり二重で大きくて。

鼻はすっと通って高く、髪はだいたい金髪。

特に子供たちの可愛らしい顔は、アジア人の私から見たら別世界の子供。

大人になってもそのイメージはずっとありました。

でもフランスに住んで慣れると、可愛いらしい顔の子供たちの中でも、次元を超えた可愛い子をたま~に見かけるのです。

で、私もなのですが、フランス人である旦那も、この子はとびっきり可愛いね~。

と言った次元超えの子供がいたのです。

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それがこの男の子。

TVの画像を撮ったものなので映りが悪くて申し訳ないのですが、あまりにも可愛過ぎて、急いでカメラを取ってきてカシャカシャしました。

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料理のコンペティション番組で、お父さんが出場していて応援のために出てきたのですが。

まあ、顔も仕草もくちゃくちゃの髪もすべてが可愛い。美しい。

天使ちゃん?星の王子さま?こんな顔あり得るの?

って思いました。

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お隣にいるのはお母さんで、この子のママなのでやっぱり美人さんだったのですが、お父さんにもよく似ておりました。

ただしお父さんはもう大人なので(当たり前)髭とかもさっとしてて、天使はすっかり卒業しておりました。

しかたありません。

男の子は髭が生えてくるくらいから変化が激しいですからね。

それにしても、フランスのとびっきり可愛い子供、恐るべし。

でもフランス人からしたら、アジア人の可愛い子供もスペシャルな魅力があるようです。

旦那がたまに、あの子可愛いね、というアジア人の子供はいつも、アーモンドアイで凛とした雰囲気の子。

私もアーモンドアイのアジア人は子供も大人も素敵だな、と思います。

(残念ながら私はアーモンドアイではありません)

女性の場合、+黒髪さらさらロングヘアでしなやかスレンダー体形だったら、ここフランスではヨーロッパでは、アジア女性としては最強かもしれません。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

この記事で美人だけど恐~いフランス女性に車で並走されながら、罵声を浴びせられたことを書きました。

恐~いフランス女性に罵声を浴びせ続けられた出来事

この後、きっと彼女はこの近辺に住んでいるだろうし、私も毎日わんこ散歩で同じ道を歩いているので、また会うだろうな、と思っていたのですが。

やはり、2度めの遭遇がありました。

その時、四つ角の横断歩道でいったん止まってわんこと歩き出したのですが、横断歩道のすぐ真横に駐車していた車の向こうから、一台の車が走行を緩めることなく走ってくるのが目に入りました。

私にも走行してきた車にも、駐車していた車がお互いの死角になって見えなかったのですね。

で、はっ!っと思って立ち止まると、走行してきた車も急ブレーキで停まりました。

その車を運転していたのが、あの恐~いフランス女性だったのです。

ガラス越しでしたがすぐに彼女だとわかりました。

なぜなら、金髪でアメリカの女優さんのように整った顔だけど(ナオミ・ワッツにちょっと似てるかも)無表情。

でもその眉間には深いシワがくっきり刻まれていて、その独特な険のある顔が忘れられなかったからです。

車の彼女と歩行の私とで4mくらいの距離間も前回と同じ。

とにかく同じ距離から見た彼女はまさしくあの彼女。

彼女の方もすぐあのアジア人だとわかったようでした。

で、向こうも急ブレーキで停まったというわけです。

死角で見えなかったとしても、横断歩道前でまったく走行を緩めなかった自分(彼女)の方が今回は良くない。

それに自分(彼女)は、工事を避けて舗道に降りて歩いた私をあれだけ罵倒し続けたのに、ここで自分は停まらなかったらただのエゴイスト。

なので停まらざるを得なかったのかな、と思いました。

普段だったら気づいて停まってくれた運転の方には、小さく手を上げてお礼を言いますが、前回のことがあるので、私は無表情に彼女を一瞥して横断歩道をわんこと渡りました。

一瞥した時、彼女も私をチラッと見ましたが、すぐに視線を別方向に向け、私たちの間には小さな火花が2秒くらいだけ。

2度めの遭遇はこれであっさり終了しました。

ちなみに今回は、後部座席に子供たちはいませんでした。

これから学校に迎えに行くところだったのでしょうか。

で、今回のことで私が一番頭に残ったのはこの出来事より、何といっても「眉間のシワ」というものなのです。

彼女はたぶん30代後半か40代前半くらい。

それであんなに眉間のシワがしっかり深くついているということは、普段からイライラしたり怒ったりすることが多いのだろうな、と思うのです。

あの執拗な罵声の仕方からしても…。

それから、もう1つ思ったのが、欧米人の肌質と瞳の色についてです。

欧米人の肌は乾燥しやすいのでシワが出来やすいし、瞳の色が薄い人が多いので日差しが眩しくて、目を細めることが多い(=眉間にシワを寄せる)。

しかも、目のためにサングラスはよくかけているけど、顔には(身体にも)しっかり日差しを浴びているな、という印象です。

彼女の場合、これらが重なって深い眉間のシワになってしまったのかな、なんて思ったのです。

じゃ、私はどうだろうか?

(彼女のような美女ではありませんが)

と思って改めてすぐ自分の眉間のシワをチェックしてみました。

ガ~ン!やはりありました~。

でもまだ薄っすらでそれほどには目立ちません。

ただし今から、これから気をつけないと、しっかりシワになりそうなので、即自分に眉間のシワ注意報出しました。

なので今は出来るだけ眉間にシワを寄せないように、とにかくまずはなるべく明るい表情、明るい気持ちを心がける毎日。

たぶんイライラマン体質ではないとは思いますが、恐い時や痛い時、それから料理中に油がはねる時なんかも無意識に眉間にシワを寄せてしまっているかも、と気づいたので要注意。

毎回すぐこの事を思い出して気をつけている今日この頃です。

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