パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

私が見てきたパリのアパルトマンの現実

パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は5度、最高気温予想は9度で、お天気は雨となっております。

前回はパリに料理修業に来ていた女の子の極小アパルトマンについて書きました。

パリの極小アパルトマンで暮らしていた子は

彼女はいくつかのレストランで働いたのですが、その1つに友人と食事に行ったことがあります。

こじんまりとしたそのお店のパトロンは、日本が大好きなフランス育ちの日仏ハーフ。

お料理は和食の要素も少しだけ取り入れたフレンチ。

そしてシェフさんはパリの有名パティスリーでシェフパティシエ(お店のパティシエの最高責任者)まで務めた、とても感じの良い日本人の男性シェフさん。

パティシエさんがフランス料理のシェフ?

と思いますが、お料理をいただいたらびっくり。

と~ても美味しいんです。

お菓子だけじゃなく、フレンチの素晴らしい料理人でもあったんですね。

で、その時思ったものです。

シェフパティシエまでやった人は、やはりお菓子だけじゃなくお料理もすごいんだな、と。

でもよく考えてみたら納得。

美しさと味の調和がとれた美味しいお菓子は1つのアート作品。

それは料理も同じ。

それでも、ここまでプロの料理を作れるというのは、どちらも相当の腕がある人。

そしてきっとご本人も食べるのが好きなんだろうな、と思いました。

でも実はそのシェフさん、不法滞在でノワール(労働許可証なしの不法就労者のこと)だったんです。

不法滞在って聞くとなんだかとても悪いイメージかもしれないけど、移民、外国人が多いフランスでは、パリでは、よくあること。

そのシェフさんがなぜ不法滞在でノワールになったのかは私は詳しくは知らないのですが、有名パティスリーで働いていた時はちゃんと滞在許可証があったはずです。

それがないと大きなお店では雇ってもらえないはずですから。

なのでおそらくそこを辞めて次のお店が決まるまでに滞在許可証が切れてしまったんだろうな、と思います。

え?それ大丈夫なの?と思っちゃいそうですが。

身分証の提示を求められたり、職務質問されたり(これはアフリカ系やアラブ系の人が受けているのをよく見かけます)、通報されたり、自ら出頭しない限りは見つかる確率は多くはないと聞いております。

信用がある日本人は余計に少ないかもしれません。

私も在住15年間で1度も提示を求められたことも、職務質問をされたこともありません。

それに滞在許可証の期限切れと、最初から持っていないとでもまったく対応が違うようです。

じゃあレストランでなぜ働けたのか?と言うと、パトロンさんがそれを承知の上で雇っていたからです。

よっぽど大きなお店や有名店じゃなければこれもよくあることです。

でも私がそのレストランで食事をして2、3ヶ月経った頃だったでしょうか。

そのシェフさんが日本に帰ることになりました。

不法滞在が見つかったわけではなく、自分から帰ることを決めたようです。

その場合、フランス出国は問題なく出来るようですが、またフランスに戻って来ることは出来ないと聞きました。

ただしその後「フランス入国禁止処分」である「前科」になっていなければ、また滞在許可証を取り直して戻って来ることも可能だと知りました。

なのでシェフさんは滞在許可証の期限が切れているだけなので、戻ることは可能なんじゃないかな、と予想します。

どちらにしても、お菓子も料理もあれだけの腕を持っていれば、日本でもフランスでも他の国でもやっていけるように思いました。

もう1人、不法滞在でノワールだった人の話を聞いております。

友人が働いていたレストランの同僚の中国人男性がそのノワール。

その人が滞在許可証切れなのか、初めから持っていなかったのかは覚えていないのですが、ある時不法滞在が見つかってしまって、不法滞在収容所センターに入れられてしまったのです。

で、友人は、強制送還になるだろうと言っていたのですが、戻ってきたのです。

理由は中国人社会の横のつながり。

強力なコネ社会のフランスで、強いつながりを持つ中国人がコネを使って、彼を無罪放免にさせたのでした。

で、何事もなかったような顔して普通に働いてるからびっくりする、と友人が言っておりました。

その友人とその中国人男性とのおかしな話がありまして。

まだ不法滞在が見つかる前だったのですが、その男性に好きだ、付き合ってくれ、と友人が言われたそう。

で、友人は、ノワールのくせして何言ってんのよ、まずちゃんと滞在許可証取ってこい、と思ったそう。

その話を聞いた時は思わず私も、笑っちゃいましたよ~。

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの最低気温は1度、最高気温予想は8度で、お天気は晴れとなっております。

久しぶりにパリのアパルトマン記事でして、4月のこの記事以来なので、7ヶ月ぶりくらいとなります。

パリ郊外シェアルーム、日本人大家さんは元外人部隊

東京では3畳一間のワンルームの需要が結構あって、最近ではロフト付きのスタイリッシュな部屋もあるようですが、パリにも3畳一間かはわかりませんが、極小部屋がた~くさんあります。

そんな部屋の1つに私も行ったことがあります。

その部屋の住人は、語学学校で知り合ったパリに料理修業に来た若い日本人の女の子。

初めてその部屋に行った時はあまりの狭さに、正直びっくりしました。

私のアパルトマンも20平米なくてかなり狭かったのですが、その1/2、いや、1/3くらいだったかもしれません。

小さなキッチンとシャワーは付いておりましたが、折り畳式のマットレスを敷くと足の踏み場がほとんどないのです。

日本で昔々若かった頃は、たとえば高円寺に住んでる子の部屋が極小だ、みたいな話は聞いたことがあったけど、実物を見たことがありませんでした。

なのでそれからかなり後のしかもパリで、初めて実物を見ました。

でもパリの中心地で便利な立地。

彼女はレストランで働いていたので、夜遅くまで仕事をすることが多く、そうするとやはり帰るのに便利な場所がいいんですよね。

それに彼氏がいて、彼の部屋に行っている事も多かったようなので、自分の部屋は仕事の日に帰って寝るだけ、という感じだったかもしれません。

それと、勉強のためにレストラン巡りをしていて、外食の高いパリなので、外食費が相当かかっていたと思います。

これは料理修業の人、結構やっていて、私も何度かそんな人と一緒に食事をしたことがあります。

知らない料理や食材も教えてくれるから楽しいんですよね。

話を戻しまして。

そんなこともあり、彼女の場合、とにかく便利な場所で家賃抑えめならそれでOKだったのだろうと思います。

若くてやっと貯めたお金で念願のパリに来て、夢がいっぱいの子でしたしね。

部屋がどんなに小さくても、そんなのたいしたことじゃなかったのかもしれません。

私もパリに来る勇気はあったけど、それでも自分の中の最低限のレベルは下げられず、極小アパルトマンに住むまでの覚悟はありませんでした。

家賃は覚えていないのですが、15年前でパリの中心だということと部屋の大きさ(小ささ?)から考えると、予想ですが400ユーロいかないくらいだったのかな。

でもそれからパリのアパルトマンの家賃はさらにどんどん上がっているので、今は600ユーロくらいか、へたしたら700ユーロくらいになっているかもしれません。

いや~、今パリに来ようと思ったら、かなりキツイな、と思います。

その後彼女は日本に帰国したのですが、今、もうすっかり大人になって、そして、どこかで料理人として人生を送っているのかな、それともまた違う人生を歩んでいるのかな、なんて思うことがあります。

15年の月日は自分は自分の15年を経験し知っているのであっという間だったけど、15年前しか知らないと、そして改めて想像してみると、どれだけ長い月日なんだろう、と思う今です。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は7度、最高気温予想は14度で、お天気は曇りとなっております。

前回、元フランスの外人部隊の大家さんのシェアルームについて書きました。

パリ郊外シェアルーム、日本人大家さんは元外人部隊

この外人部隊(Légion étrangère)とフランス軍(militaires français)について、旦那や旦那の家族を通して知って驚いたこと、そしてやはり甘くないな、と感じたことがいくつかあります。

もしかしたらフランスに住みたかったり、国籍が欲しくて外人部隊への入隊に興味を持っている人もいるかもしれないので、私が知った範囲でのことをお伝えしておこうと思います。

フランスは1997年まで徴兵制があり、旦那も若い時にフランス軍で約1年、兵役義務を務めたそうです。

その1年はきっとキツかったのだろうな、と想像しましたが、意外や意外、まったくキツくなかったとのこと。

なぜなら、最初の4ヶ月はトレーニング期間でしたが、そのトレーニングは旦那にとってはそれほどキツイものではなかったそう。

しかもその後配属されたのが陸軍の伍長という職務で、軍曹の下、兵卒の上の位置なので、それもまったく大変なことはなかったそう。

でもその伍長という職務は、たまたま他の職務が空いていなかったので伍長になったとのこと。

なので徴兵の1年間はまったく大変じゃなかったそうです。

そんな事を聞いてしまうと、え?フランス軍ってそんな感じなの?

と思いますが、旦那が大変じゃなかったのは徴兵の兵士で、しかもラッキーなことにたまたま伍長になれたから。

元プロの海軍のパイロットだった旦那の弟さんもですが、志願して入隊するプロ軍人はそんなわけにはいきません。

徴兵の兵士はいつもフランス国内だけに留まっていて、戦争や紛争が起こった場合もフランス国内は行くけれど、海外には行かないそう。

でもプロ軍人は海外にもどんどん駆り出されます。

問題が起こっていなければ海外でも大きな危険は基本的にはありませんが、戦争地や紛争地、内戦地に行く場合は死と隣り合わせ。

旦那の弟さんも2度、危機一髪の時があったということです。

徴兵の兵士とプロ軍人とでは、任務の危険度がまったく違うんです。

ただし徴兵の兵士でも時代によって制度が違っていて、旦那のお父さんの時代は徴兵期間が18ヶ月で、しかも世界中で戦争や紛争が起こっていて、徴兵の兵士でも海外に行かなくてはならなかったそうです。

お父さんも徴兵の兵士としてアルジェリアに行って、とてもキツイ経験をしたようです。

戦争ですものね…。

話を戻しまして。

政府に命令されれば、世界のどこへでも行かなくてはならないプロ軍人は、体力はもちろんメンタル面もまた相当キツイ。

なので精神を安定させるために強い薬を処方されたり、打たれてしまうこともあるようです。

これはフランス軍だけじゃなく、たとえばアメリカ軍なんかもまったく同じ。

なので戦場から帰ってきて、たとえ除隊した後でも、凄惨な経験と、そして強い薬の後遺症が出る場合もあり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しめられる人がかなりいるそうです。

そんな危険な任務のため、一定期間務め上げれば除隊後は、年齢に関係なくすぐ軍人年金の受給が出来ます。

フランスの年金受給年齢は基本的に62歳ですが(今64歳引き上げで揉めておりますが)、プロ軍人だった場合は別ということです。

しかも、普通は年金をもらい始めたら、もう他で働いて収入を得ることは出来ませんが、元プロ軍人はそれも別。

年金を受給しながら、働いて収入を得ることが出来ます。

それだけキツイ職務だということです。

でもこのフランス軍のプロ軍人よりさらにもっともっとキツイのが、外国籍の兵士で構成されているフランス外人部隊「レジオン・エトランジェール(Légion étrangère)」。

過酷といえば外人部隊。

と、フランス人なら誰でも知っている的なことだそうです。

とにかく軍事訓練が厳しいし、もちろん戦争地、紛争地、内戦地にもどんどん駆り出されます。

あまりにも過酷で脱走する人も多いようです。

でも、シェアルームの日本人大家さんもですが、一定期間を務め上げればフランスの国籍が貰えます。

国籍を貰えれば、名前を変更することも出来ます。

実は外人部隊は過去に軽犯罪を犯した人も入隊出来るので、フランスで別の人間になってフランス人として生きていけるということです。

そして外人部隊もプロ軍人なので、一定期間を務め上げれば軍人年金が受給出来ます。

これらのスペシャルなことが、外人部隊と言えば、フランス外人部隊、と言われる理由かもしれません。

それから、偶然今日、フランス軍のルポルタージュを観たのですが、今は若い優秀なプロ軍人を集めた精鋭部隊があって、5週間の厳しいサバイバル訓練の後、正式にその部隊の一員になれるようです。

そのルポルタージュでの最年長は27歳の男性。

女性もいて、男性とまったく同じ厳しい訓練を受けていて、気温マイナス7度の中で何時間もほふく前進するとか、大きな荷物をしょって真夜中の山の中を地図を持って十数時間歩くとか、爆撃訓練でケガ人も出ておりました。

でも何と訓練の最後、女性隊員の1人がその選抜部隊初の女性のリーダーに任命されていました。

髪を男性のように短く刈り上げ、逞しくて、話声を聞かなければ女性か男性かわからない容貌でした。

とにかく、生半可な気持ちではフランスのプロ軍人は務まらないんだな、と思います。

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は7度、最高気温は14度で、お天気は薄曇りとなっております。

たとえば1年の予定でパリにやって来る場合、最初から1年間の住居が決まっている人がほとんど、というわけではありません。

まずネットで見つけた部屋やホームステイ先に3、4ヶ月住んで、その間に次に住む部屋をまたネットやフリーペーパー、知り合いを通して探す、ということが多いです。

語学学校で知り合った日本人男性のKさんもその1人。

そんなKさんが3軒めに住んだのが、パリ郊外のシェアルーム。

そのシェアルームに、日本人の友人たちと数人で遊びに行ったことがあります。

場所は郊外といっても、パリ市内を出てすぐの街。

シェアルームは広いアパルトマンの一角で、大家さんは日本人男性とフランス人女性のカップル。

Kさん以外にも間借りしている人が3人か4人いて、それぞれにちゃんと個室がありました。

その日は大家さんカップルも他の住民さんもいなかったので会うことはなく、共有の広~いリビングで、持ち寄った食べ物と飲み物でフェット(パーティーの意味。でも今はソワレと言う)をして楽しい時間を過ごしました。

その時にKさんが、大家さんの日本人男性は元フランス外人部隊に所属していたことを話してくれました。

外人部隊のことも日本人がその部隊に入れることもまったく知らなかったので、皆びっくり。

しかも決まった年数を務め上げれば除隊後は何とフランス国籍が貰えるのだそう。

現在私はフランス人と結婚して、それでもずっと外国人として10年ビザの更新を続けなくてはならないけど、そうじゃなくて、フランス国民になれるということなのです。

なのでずっとフランスに住み続けたいKさんは、フランス国籍が貰えるなんてすごいよなぁ、とちょっと羨ましそうに言っておりました。

Kさんは画家のお父さまと子供の頃パリに住んでいたことがあって、思い入れがあったんですよねぇ。

で、そのシェアルームに行ってみて、私自身はその時、20㎡ない小さなアパルトマンに1年間の予定で住んでいたので、ちゃんと個室でこんなゆったりとしたアパルトマンなら住むのはぜんぜん悪くないな、と思いました。

それに他の住人さんとも交友があるだろうし、フランスのことも他の国のことも知る機会が増えそうで、世界が広がりそうだな、とも思いました。

で、この時のことで他に私が今もよく覚えていることが2つあって、1つめは。

リビングの大きなTVの有料放送の音楽チャンネルから、その時フランスでかかりまくっていた日米ハーフのミュージシャンのジャスティン・ノヅカの曲が大音量で流れてきたんです。

この曲です↓


で、あ、この曲大好きなんだ、と言ったら、一緒にアパルトマンに遊びに来ていた友人がこのPVのジャスティン・ノヅカを見て。

「顔がダメ。」のあっさり一言で、話が終わってしまったんです。

この友人なのですが→疎遠になった友人

あの判断の速さは、今思い出しても超速かったなぁ、と。

今でもこのPVを観て曲を聴くと、この時のことをすぐに思い出します。

そして今聴いても良い曲だな、と思います。

2つめは、結局この日帰るのが夜中になってしまい電車がなくなってしまって、パリのレンタサイクル「ヴェリブ」を借りて皆で帰ったこと。

でもそれぞれ住むカルティエが違うので、途中で、じゃあね~、と1人減り、また2人減り…となり、最後に残ったのは、Kさんのアパルトマンから1番離れたカルティエに住む、音楽留学のCちゃんと私の2人。

で、2人で途中休み休みしながらもがんばってヴェリブ漕いだのですが。

あの時駆け抜けた真夜中のパリが今も忘れられないのです。

私はヴェリブに乗り慣れていなくて、よく利用しているうんと年下のCちゃんについて行くだけ。

でも、moiさんこっちこっち!って言って、ものすごく心強くてねぇ。

それにもう2時3時になっていたからだ~れもいなくて、少し恐くてドキドキもしているのだけど、でもなんかパリに私たちしかいないような感覚。

まるで映画の中のパリにいるよう。

で、2時間くらいでしょうか、2人で風を切って真夜中のパリをスイスイ駆け抜けて。

そして、私の住むカルティエが少し手前だったので、最後は私がCちゃんに、じゃあね、という番。

でもヴェリブの返却の仕方がわからない私にCちゃんが付き添ってくれて、無事私が返却出来たのを見届けてから、Cちゃんは1人で帰って行きました。

優しかったCちゃんです。

あの時間は今も不思議で特別な宝物。

あれ以上に美しいパリはなかったな、と今でも思っております。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は7度、最高気温予想は10度で、お天気は曇りとなっております。

遡ること15年前の2008年2月、渡仏を決めていた私は、パリで住むアパルトマンを探すため、マイレージで貯めた航空券でパリに短期間滞在したことがあります。

愛犬のチワワ坊やも連れて行くので、パリに着いてから住む場所を探すことは、坊やに大きなストレスを与えてしまうと思ったからです。

で、前もってパリの日系不動産屋さんに家賃なども含め希望を伝えて、それに見合うアパルトマンをメールで紹介されていたので、その部屋を見に行ったというわけです。

そのアパルトマンはパリの端っこ15区と16区の間。

日本人男性担当者との待ち合わせ場所の住所に行ってみると、そこは古く重厚な建物がたくさん並ぶ閑静な住宅街で、そんな重厚な建物の1室が紹介された部屋でした。

広さは28㎡くらいだったと思いますが、中も年季が入っていて19世紀の雰囲気。

実際、19世紀かそれ以前の建物だったと思います。

古いけどバスタブがあったし、3階か4階だったので緑豊かな通りを窓から見下ろせて、なかなか悪くありませんでした。

で、ここならかなり安全そうなのでチワワ坊やと安心して暮らせそうだな、と思ったし、家賃も希望以内だったので担当者に、ここに決めたい、と伝えました。

すると、それまでかなりぞんざいな対応をしていた担当者が、え?となって態度がコロッと変わり、じゃあ社に一緒に戻って仮契約をしましょう!

と張り切って言い出しました。

で、会社に行くまでの車中では通りかかったパッシー地区のあたりで、ここは日本人駐在員の奥さん方が自慢したくて住みたがる地区だ、とか何とか、ぺらぺら話し始めました。

ここに決めたい、と言うまでの態度と真逆だったので、私は心の中で苦笑い、という感じでした。

それでもとにかく私は住むところが見つかったので、担当者がそんな対応でも一安心し、仮契約を済ませ、いったん日本に帰りました。

ですが渡仏に向けて着々と準備をしていたある時、その日系不動産屋からメールが来ました。

仮契約したアパルトマンが、相続でもめているので、巻き込まれるのを避けるためキャンセルした方が良い。

実はあそこに住んでいた男性が亡くなって貸し出すことになったのだけれど、親族間でもめ始めている、との事。

そのメールを送ってきたのが、この最悪だった女性担当者でした。

日系不動産屋の担当者との会話で地雷を踏んだ話

そして、その代わりに7区の別のアパルトマンを見つけてあるので、資料を見てください、と。

私の希望はまず第1に安全なカルティエであることだったのですが、このカルティエ以上に安全なところはそれほど多くないとのこと。

でもそのアパルトマンはキャンセルになるアパルトマンよりかなり狭く、家賃は希望より100ユーロ高かったのです。

ですがチワワ坊やがいて渡仏が迫っている私に、他の選択肢はありませんでした。

結局、安全だという言葉を信じて、そのアパルトマンを借りることになりました。

そして、渡仏当日、到着してそのままその7区のアパルトマンに向かい、その建物の前で女性担当者と会いました。

自分が1年間住むアパルトマンに、住む当日、初めて行ったのです。

それが前々回のエッフェル塔の記事でご紹介したカルティエにあるアパルトマンでした。

真冬の夜のエッフェル塔のふもとは…

その日から私のパリ暮らしが始まったのですが、そのカルティエはパリの中でも高級住宅街と言われているだけあって本当に安全でした。

感じの良い商店街やグルメ通りとして有名なサン・ドミニク通りもすぐそば。

しかも毎日エッフェル塔が見れるという最高のシチュエーション。

パリの端っこのアパルトマンより狭いのに100ユーロ高いと言うのも納得の立地でした。

今でも、最初の1年、そのカルティエに住めた事は本当に恵まれていたと思うし、今でも私の人生の大切な思い出になっております。

でももし、キャンセルになったあのアパルトマンに住んでいたとしても、それはそれで楽しいパリ暮らしになったんじゃないかな、とも思っております。

ただ後になって思うのは、あそこは本当に相続でもめてキャンセルだったのだろうか、という事。

もしかしたら不動産屋が、犬を心配してて渡仏前に住む場所を決めておきたい私の状況を見て、家賃が高い方でも借りるだろうと踏んだのかも。

なんて、考え過ぎかもですが、そんなことも過ります。

ところで、最初に会った不動産屋の男性担当者ですが、パリで知り合った友人もたまたまその担当者にアパルトマンを案内されたことがあったそうで。

やはりいい加減な対応で、借りようかな、と言うと、コロッと態度が変わったそう。

で、あ~、一緒一緒~!

という話になった事があります。

女性担当者もですが、あの対応が、あの不動産屋が通るというのがパリ。

今でも状況は変わらないんだろうな、と予想しております。

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