パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

私が見てきたパリのアパルトマンの現実

パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は7度、最高気温予想は14度で、お天気は曇りとなっております。

前回、元フランスの外人部隊の大家さんのシェアルームについて書きました。

パリ郊外シェアルーム、日本人大家さんは元外人部隊

この外人部隊(Légion étrangère)とフランス軍(militaires français)について、旦那や旦那の家族を通して知って驚いたこと、そしてやはり甘くないな、と感じたことがいくつかあります。

もしかしたらフランスに住みたかったり、国籍が欲しくて外人部隊への入隊に興味を持っている人もいるかもしれないので、私が知った範囲でのことをお伝えしておこうと思います。

フランスは1997年まで徴兵制があり、旦那も若い時にフランス軍で約1年、兵役義務を務めたそうです。

その1年はきっとキツかったのだろうな、と想像しましたが、意外や意外、まったくキツくなかったとのこと。

なぜなら、最初の4ヶ月はトレーニング期間でしたが、そのトレーニングは旦那にとってはそれほどキツイものではなかったそう。

しかもその後配属されたのが陸軍の伍長という職務で、軍曹の下、兵卒の上の位置なので、それもまったく大変なことはなかったそう。

でもその伍長という職務は、たまたま他の職務が空いていなかったので伍長になったとのこと。

なので徴兵の1年間はまったく大変じゃなかったそうです。

そんな事を聞いてしまうと、え?フランス軍ってそんな感じなの?

と思いますが、旦那が大変じゃなかったのは徴兵の兵士で、しかもラッキーなことにたまたま伍長になれたから。

元プロの海軍のパイロットだった旦那の弟さんもですが、志願して入隊するプロ軍人はそんなわけにはいきません。

徴兵の兵士はいつもフランス国内だけに留まっていて、戦争や紛争が起こった場合もフランス国内は行くけれど、海外には行かないそう。

でもプロ軍人は海外にもどんどん駆り出されます。

問題が起こっていなければ海外でも大きな危険は基本的にはありませんが、戦争地や紛争地、内戦地に行く場合は死と隣り合わせ。

旦那の弟さんも2度、危機一髪の時があったということです。

徴兵の兵士とプロ軍人とでは、任務の危険度がまったく違うんです。

ただし徴兵の兵士でも時代によって制度が違っていて、旦那のお父さんの時代は徴兵期間が18ヶ月で、しかも世界中で戦争や紛争が起こっていて、徴兵の兵士でも海外に行かなくてはならなかったそうです。

お父さんも徴兵の兵士としてアルジェリアに行って、とてもキツイ経験をしたようです。

戦争ですものね…。

話を戻しまして。

政府に命令されれば、世界のどこへでも行かなくてはならないプロ軍人は、体力はもちろんメンタル面もまた相当キツイ。

なので精神を安定させるために強い薬を処方されたり、打たれてしまうこともあるようです。

これはフランス軍だけじゃなく、たとえばアメリカ軍なんかもまったく同じ。

なので戦場から帰ってきて、たとえ除隊した後でも、凄惨な経験と、そして強い薬の後遺症が出る場合もあり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しめられる人がかなりいるそうです。

そんな危険な任務のため、一定期間務め上げれば除隊後は、年齢に関係なくすぐ軍人年金の受給が出来ます。

フランスの年金受給年齢は基本的に62歳ですが(今64歳引き上げで揉めておりますが)、プロ軍人だった場合は別ということです。

しかも、普通は年金をもらい始めたら、もう他で働いて収入を得ることは出来ませんが、元プロ軍人はそれも別。

年金を受給しながら、働いて収入を得ることが出来ます。

それだけキツイ職務だということです。

でもこのフランス軍のプロ軍人よりさらにもっともっとキツイのが、外国籍の兵士で構成されているフランス外人部隊「レジオン・エトランジェール(Légion étrangère)」。

過酷といえば外人部隊。

と、フランス人なら誰でも知っている的なことだそうです。

とにかく軍事訓練が厳しいし、もちろん戦争地、紛争地、内戦地にもどんどん駆り出されます。

あまりにも過酷で脱走する人も多いようです。

でも、シェアルームの日本人大家さんもですが、一定期間を務め上げればフランスの国籍が貰えます。

国籍を貰えれば、名前を変更することも出来ます。

実は外人部隊は過去に軽犯罪を犯した人も入隊出来るので、フランスで別の人間になってフランス人として生きていけるということです。

そして外人部隊もプロ軍人なので、一定期間を務め上げれば軍人年金が受給出来ます。

これらのスペシャルなことが、外人部隊と言えば、フランス外人部隊、と言われる理由かもしれません。

それから、偶然今日、フランス軍のルポルタージュを観たのですが、今は若い優秀なプロ軍人を集めた精鋭部隊があって、5週間の厳しいサバイバル訓練の後、正式にその部隊の一員になれるようです。

そのルポルタージュでの最年長は27歳の男性。

女性もいて、男性とまったく同じ厳しい訓練を受けていて、気温マイナス7度の中で何時間もほふく前進するとか、大きな荷物をしょって真夜中の山の中を地図を持って十数時間歩くとか、爆撃訓練でケガ人も出ておりました。

でも何と訓練の最後、女性隊員の1人がその選抜部隊初の女性のリーダーに任命されていました。

髪を男性のように短く刈り上げ、逞しくて、話声を聞かなければ女性か男性かわからない容貌でした。

とにかく、生半可な気持ちではフランスのプロ軍人は務まらないんだな、と思います。

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パリ庶民のリアルな日常と暮らし情報、料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は7度、最高気温は14度で、お天気は薄曇りとなっております。

たとえば1年の予定でパリにやって来る場合、最初から1年間の住居が決まっている人がほとんど、というわけではありません。

まずネットで見つけた部屋やホームステイ先に3、4ヶ月住んで、その間に次に住む部屋をまたネットやフリーペーパー、知り合いを通して探す、ということが多いです。

語学学校で知り合った日本人男性のKさんもその1人。

そんなKさんが3軒めに住んだのが、パリ郊外のシェアルーム。

そのシェアルームに、日本人の友人たちと数人で遊びに行ったことがあります。

場所は郊外といっても、パリ市内を出てすぐの街。

シェアルームは広いアパルトマンの一角で、大家さんは日本人男性とフランス人女性のカップル。

Kさん以外にも間借りしている人が3人か4人いて、それぞれにちゃんと個室がありました。

その日は大家さんカップルも他の住民さんもいなかったので会うことはなく、共有の広~いリビングで、持ち寄った食べ物と飲み物でフェット(パーティーの意味。でも今はソワレと言う)をして楽しい時間を過ごしました。

その時にKさんが、大家さんの日本人男性は元フランス外人部隊に所属していたことを話してくれました。

外人部隊のことも日本人がその部隊に入れることもまったく知らなかったので、皆びっくり。

しかも決まった年数を務め上げれば除隊後は何とフランス国籍が貰えるのだそう。

現在私はフランス人と結婚して、それでもずっと外国人として10年ビザの更新を続けなくてはならないけど、そうじゃなくて、フランス国民になれるということなのです。

なのでずっとフランスに住み続けたいKさんは、フランス国籍が貰えるなんてすごいよなぁ、とちょっと羨ましそうに言っておりました。

Kさんは画家のお父さまと子供の頃パリに住んでいたことがあって、思い入れがあったんですよねぇ。

で、そのシェアルームに行ってみて、私自身はその時、20㎡ない小さなアパルトマンに1年間の予定で住んでいたので、ちゃんと個室でこんなゆったりとしたアパルトマンなら住むのはぜんぜん悪くないな、と思いました。

それに他の住人さんとも交友があるだろうし、フランスのことも他の国のことも知る機会が増えそうで、世界が広がりそうだな、とも思いました。

で、この時のことで他に私が今もよく覚えていることが2つあって、1つめは。

リビングの大きなTVの有料放送の音楽チャンネルから、その時フランスでかかりまくっていた日米ハーフのミュージシャンのジャスティン・ノヅカの曲が大音量で流れてきたんです。

この曲です↓


で、あ、この曲大好きなんだ、と言ったら、一緒にアパルトマンに遊びに来ていた友人がこのPVのジャスティン・ノヅカを見て。

「顔がダメ。」のあっさり一言で、話が終わってしまったんです。

この友人なのですが→疎遠になった友人

あの判断の速さは、今思い出しても超速かったなぁ、と。

今でもこのPVを観て曲を聴くと、この時のことをすぐに思い出します。

そして今聴いても良い曲だな、と思います。

2つめは、結局この日帰るのが夜中になってしまい電車がなくなってしまって、パリのレンタサイクル「ヴェリブ」を借りて皆で帰ったこと。

でもそれぞれ住むカルティエが違うので、途中で、じゃあね~、と1人減り、また2人減り…となり、最後に残ったのは、Kさんのアパルトマンから1番離れたカルティエに住む、音楽留学のCちゃんと私の2人。

で、2人で途中休み休みしながらもがんばってヴェリブ漕いだのですが。

あの時駆け抜けた真夜中のパリが今も忘れられないのです。

私はヴェリブに乗り慣れていなくて、よく利用しているうんと年下のCちゃんについて行くだけ。

でも、moiさんこっちこっち!って言って、ものすごく心強くてねぇ。

それにもう2時3時になっていたからだ~れもいなくて、少し恐くてドキドキもしているのだけど、でもなんかパリに私たちしかいないような感覚。

まるで映画の中のパリにいるよう。

で、2時間くらいでしょうか、2人で風を切って真夜中のパリをスイスイ駆け抜けて。

そして、私の住むカルティエが少し手前だったので、最後は私がCちゃんに、じゃあね、という番。

でもヴェリブの返却の仕方がわからない私にCちゃんが付き添ってくれて、無事私が返却出来たのを見届けてから、Cちゃんは1人で帰って行きました。

優しかったCちゃんです。

あの時間は今も不思議で特別な宝物。

あれ以上に美しいパリはなかったな、と今でも思っております。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

フランスの住宅手当についての経験で、今だから自分なりにわかったことを書きました。

今だからわかる。私がフランスの住宅手当アロカシオンに落ちた理由

この記事の中で、渡仏してすぐ住んだアパルトマンの大家さんと日系不動産屋の担当者が、質の悪い人たちであったことも併せて書きました。

特に不動産屋のその女性担当者については、フランスに来て実際に出会った日系人の中では一番最悪だった、と今も思っております。

今回は私が経験した彼女の悪質な対応と、その後知り合いから聞いた、彼女との会話中に地雷を踏んでしまった話を書かせていただこうと思います。

担当者だった彼女はとにかく最初から高飛車な態度で、何もわからないあなたにこっちがアパルトマンを紹介してあげてるのよ、的な雰囲気がありました。

でも私もパリに来たばかりで、フランス流が本当にまったくわからなかったし、フランスは日本と違って接客業でもお客さまにへいこら的なことはしないと聞いていたので、これが普通なのかな、と思っておりました。

でも1年間住んだそのアパルトマンでの彼女の対応は、あまりにも人をバカにしていたり、困ることが何度もありました。

気分によって態度がころころ変わるのは毎回だし、あなたのとこの大家はレズなのよ、といきなり噂話をし出すこともありました。

困ったのは、住居関係でわからないことがあって会社に電話しても、本人が電話に出ているのに平気で居留守を使うこと。

それでも聞かなければならないので気を遣って時間を置いて電話すると、今度は、いないって言ったらいないのよ!と半ばキレられたこともありました。

これらのことがあって、これはフランス流ではなく、彼女の人格の問題なのだ、ということがだんだんわかってきました。

なので途中からは彼女と出来るだけ接することがないよう、電話もかけないようにしていました。

そして何と言っても酷かったのがそのアパルトマンを退去する時です。

お金に執着心があった大家と彼女とでまるで示し合わせたように、あれが少し壊れてる、ここがはがれてる、などと私が住む前から傷んでいた箇所を細かくチェックし、ろくに説明もしないままフランス語の書面にサインしろと言ってきたのです。

フランス語の書面なんてわからないし、わからないから日系の不動産屋にしたのにです。

なので、書面の内容を全部説明して欲しい、と言うと、超適当な説明をするので、ちゃんと全部わかるように説明して欲しいと言うと。

サインしないなら法的手段に出るわよ!

と彼女はまるで脅すように強い口調で言ってきました。

なのでしかたなくサインをしました。

そして退去手続きがすべて終わると、彼女は別人のようにニッコリ微笑んで、これからもフランス生活がんばりなさいね、と言って、何事もなかったように大家と去っていきました。

フランスに来て泣いたのはこの時が初めてです。

それから数年後、引っ越しを考えていてアパルトマンを探している日本人と、たまたま話す機会があったのですが。

何とその日系不動産屋で探していて、しかも担当者が彼女。

まだあの人いたのか、と正直思いました。

そして聞いた話が、まさしく彼女そのもの、という内容だったのです。

その日本人も、彼女については何人かの日本人に聞いていたので、初めからそれなりの気持ちの準備をしていたそうです。

なので、噂通りの人だったけど、そういう人と思って、こちらも適当に話を合わせていたそう。

ところが。聞いた途端彼女の態度が突然恐ろしく豹変した質問があったそうで、それは。

「結婚してるんですか?」という質問。

ものすごくヒステリックな感じになって、あ、地雷踏んじゃった、と思ったそうです。

それを聞いて私が思ったのは。

フランスでは、結婚してるしてないで人を判断しないし、結婚しているのが当たり前でもぜんぜんなくて、一緒に暮らしていても結婚を望まない人もいるくらいなんです。

なので、結婚しているんですか?

と知人じゃない人に聞くことはほとんどないと思うのです。

これはフランス家庭に入ってからも、旦那も含め他人のプライベートなことを詮索しない周りのフランス人たちを見て感じております。

なので。

ここフランスでそれを聞いてしまったこと自体は、私も確かに良くないことだったと思うのです。

でもその一方で。

彼女の、日本人相手の仕事ぶり、傲慢な態度などを考えると、しかたないかもな、とも思ってしまいました。

それに自分で決めて日本人相手に仕事しているわけだし、日本人が結構普通にそう聞いてくるのはよくあることで、わかっているはずです。

そう聞かれるのがそんなにいやなら、そう聞かないフランス系の会社でフランス人相手に働けばいいのです。

で、その後その日本人は、彼女担当物件のアパルトマンが無事決まり、引っ越しをしましたが、引っ越しさえ出来れば後は彼女には適当に接している、と言っておりました。

で、今回この記事を書くにあたって、その不動産屋についてネット検索してみましたが、彼女の名前はまったく出てきませんでした。

普通に考えれば定年退職している年齢だとは思います。

フランスに来て不安いっぱいの日本人に対してあの対応は、やられた者の1人として今でも忘れられないし、私のような悲しい思いをする日本人が1人でも少なくなっていて欲しいです。

ちなみに。

涙の退去後、一度別の日系不動産会社の物件を見たことがあるのですが、担当者がやはり女性で日本人だったのですが、その人は冷静であっさりとした対応でした。

でもチワワ坊や連れだった私、わんこはダメ、と大家さんに断られてしまったのですよね。

すぐ感情的になる人、すぐプンプンする人、お天気屋さんが苦手なので、初めからあのあっさりとした日本女性担当者だったら良かったのにな、なんて思ったこともあります。

パリでのアパルトマン探しはほんと~に大変でしたが、もう2度と出来ないだろう経験で、住んでみないとわからないパリの勉強をしたな、と思っている今です。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

この記事で、自国で家を3軒と葡萄畑を持ち、人を雇ってワインも作っている外国人が、フランスでは小さなアパルトマンに住んでいること。

そして収入の少ない所帯としてフランスの社会保障制度を最大限利用していることを書きました。

在住外国人のフランス&自国、真逆な二重生活の話

この話だけじゃなくこれまでの経験で、今だからわかったことがあります。

2008年にパリにやって来た時に住んだのは7区のアパルトマンでした。

日系不動産屋から紹介されたそのアパルトマンは、渡仏直前にやっと決まった物件で、日本から一緒に行くチワワ坊やがいる私にはもう他に選択肢がありませんでした。

フランスは留学生でも住宅手当で通称アロカシオン(Alocation de logement)の申請が出来るので、もちろん申請をしたかったのですが、そのアパルトマンは申請が出来ない物件だと不動産会社の担当者に言われました。

しかたありません。そこでの申請は諦めました。

渡仏後、通った語学学校では多くの学生たちが住宅手当を受給しておりました。

話を聞くと、それでも申請が通る場合と通らない場合があるとのことで、はっきりとした理由を知ることは出来ませんでした。

で、次に住んだニースのアパルトマンが住宅手当の申請が可能な物件でした。

節約生活だったのでもしもらえたら大助かり。

今は書類がダウンロード出来ますが、その頃はまだ出来なかったので、フランスに長年住んでいる友人に付き添ってもらい、滞在許可証などを持って申請の窓口に行きました。

実際に担当者と会う時は確かその人と私だけだったと思うのですが。

その際、友人には、とにかく聞かれたこと以外は話さない方が良い、とのアドバイスを受けていたので、聞かれたことだけに答え、書類を作ってもらい申請しました。

終わった後はほっとしました。

でも申請が通るかはまったくわかりません。

よくフランスのお役所は担当者のその日の気分で何かが通ったり、通らなかったりするので、私の住宅手当もそうなのだろう、と。

で、見事に落ちました。

でも今となっては簡単に理由がわかります。

担当者の気分云々とかではなかったのです。

申請時、聞かれたこと以外は何も言わなかったけど、聞かれたことには正直に答えました。

それは日本にいた時の仕事や収入、住まいなどです。

日本ではそういうのは調べればすぐわかることだし、役所に嘘をつくなんて考えられない。

なのでフランスでもそれが当たり前だと思っていました。

でも日本とフランスはまったく違うのです。

多民族国家で外国人もたくさんいるフランスでは、1人1人が本当のことを言っているかどうかまでは調べないのでしょう。

だから例の自国では大金持ち、でもフランスでは低所得の外国人、も調べられていないから、通っているのでしょう。

今思えばですが、語学学校での住宅手当の話の時も、話がいつも何かあやふやではっきりしなかったようにも思います。

どうすれば通るのか、は堂々と言えることではなかったからかも、しれません。

たぶん正直に本当のことを言わなければ、通っていたのだろうな、と今思っております。

ちなみにこれは想像ですが。

初めて住んだ住宅手当の申請が出来ないアパルトマンは、大家さんと不動産屋の担当者とで何か自分たちに都合の良いようにやっていたのかもしれない、とも今思っております。

なぜかと言うと、大家はお金にとても執着していて、担当者も狡くておまけにヒステリックで、とにかく質の悪い両者だったからです。

そのアパルトマンを出る時はお金のことでかなりいやな思いをしました。

それにその後、私もずっと感じていたその不動産屋の担当者の人格の悪さの話を何度も耳にしたからです。

今日までの日々、いろんなことに合点がいって悪い経験も含め、なかなか興味深いフランス生活です。

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我が家はパリ郊外のとある街。

郊外ですがパリ市は小さいのでそのパリの中心地から電車で約15分くらいです。

そんな我が街は数年前に新設の大学ができ、そして数年後にはメトロが通ります。

なので只今あちこちで大型アパルトマンの開発が進んでおります。

そのアパルトマンはどれもモダンでおしゃれ。

東京のアパルトマンとほとんど変わりません。

そんなモダンなアパルトマンがどんどこ建つ一方で。

以前からの住宅街には別のタイプのアパルトマンが増えております。

それは、以前からある一軒家を改築したアパルトマンです。

通りかかるたびに住民が違うな、と思い、そして郵便ボックスが何個もあることに気が付いて。

ああ、ここは一軒家賃貸アパルトマンなんだな、とわかるのです。

住民は様々で、学生らしき若者もよく見かけますが、最近特にものすごく増えたな、と感じるのが東欧系の住民です。

EUに加盟している東欧の国(キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア)の人たちは、シェンゲン条約により、基本的に検査なしで出入国が出来る査証免除があるからです。

家族で住んでる場合も多く、女性は美人で金髪率高し。

子供もめちゃくちゃ可愛いので、しょちゅう見とれております。

ただ、ちょっと困ることも正直あります。

たとえば、駐車場の出入口に駐車禁止なのに車を駐車します。

旦那が注意するとだいたいすぐ車を移動するのですが、後日また同じことをします。

でも道で会うと、ボンジュール!

って明るく屈託なく言うのです。

もう1つあります。

気候の良い今の季節に多いのですが、週末の夜にアパルトマンの庭で大パーティーをするのです。

パーティーはぜんぜん良いのですが、真夜中も平気で大音量で音楽をかけ(東欧の民謡みたいなの)、騒ぐのです。

で、あまりにも音が大きい時は旦那が、もう少し音を下げて、って言いに行くのですが。

すると、ああ、ごめんごめん!

と言ってす~ぐ音量を下げ、お詫びにとビールを数本くれたりもします。

そして道で会うと、ボンジュール!

ってまた明るく屈託なく言うのです。

だけどまた次の週には大音量パーティーをするのです。

悪気はまったくないのだと思うのです。

たぶんすぐ忘れて、楽しく過ごそう!って気持ちになっちゃうのだろうな、と。

自国はきっとパリよりずっとのどかで、パリよりもずっと進んでなくて、隣近所気にすることなく、好きに音楽聞いて歌って踊って飲んで暮らせるのでしょう。

とにかく大らかで何て言うか、憎めない感じなんです。

なので最近は、週末に大音量の東欧の民謡が聞こえてくると、あ、また始まった、となんか可笑しくなってきちゃいます。

でもやはり自国とは違うこのパリ郊外の住宅街で、しかもそのアパルトマンも自分たちだけが暮らしているわけではないので(赤ちゃんも結構いる)、もう少し気をつけないとだとは思います。

そのアパルトマンにはある少年一家も住んでいるのですが、その少年については私は少しせつない気持ちと心の中でそっと応援する気持ちを持っております。

いつかそんな気持ちを書けたら、と思っておりますが、長くなりましたので今日はここまでで。

追記・・・今日6月17日金曜日、大晴天だった今夜も20時前後から大音響パーティーが始まっております。

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