パリ生活社ミルクとマカロン2

パリ郊外マルヌ川の流れる街の暮らしの中で、日本人として感じる思いを率直に綴ります。

私が見てきたパリのアパルトマンの現実

パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は5度、日中の最高気温は8度で、お天気は曇りとなっております。

渡仏してすぐ通った語学学校の同じクラスに、海外赴任でパリにやって来た日本人駐在員がいました。

彼は日本人の奥さんと一緒に来ていて、一度だけ彼らの住むアパルトマンに行ったことがあります。

場所は比較的安全な地区と言われていて、日本人が多く住む15区。

アパルトマンは、歴史ある古い建物が多いパリの中では新しい方に入る70年代か80年代に建てられたと思われる建物で、外観は特に素晴らしいわけではありませんでした。

でも部屋に入るととにかく広くて、リビングだけでも40㎡近くあったように思います。

別になっているキッチンも数人で料理が出来るくらい広くて、そのキッチンくらいの部屋に住んでいる私からしたら、夢のようなアパルトマンでした。

でも1番印象的だったのは、その時、奥さんがちょっと不満そうに言ったこと。

でも、ここよりもっと広いパッシー地区の素敵なアパルトマンに住んでる駐在員たちがた~くさんいるのよ、ここは狭い方なのよ、と。

その時、駐在員の奥さん方も奥さん方で、なかなかいろいろあるのだろうな、とちょっと過ぎりました。

と言うのも、旦那さんの海外赴任について行った友達や、お兄さん家族が長年海外赴任をしている友人から、現地での駐在員の奥さん同士の付き合いが大変なことを、よく聞いていたからです。

断ることが許されないような付き合いに、気遣いに、上下関係に、競い合いに。

とにかく話を聞く限りでは、私にはちょっと考えられないような世界でした。

なのでパリも同じようなことがあるんだろうな、と’思ったのです。

やはり駐在員さんの話で、こんなこともありました。

ある時、友人の携帯にメールが来たのですが、相手は彼女の知り合いの新婚の駐在員で、英語で、今すぐにでも君に会いたい、今度はいつ会える?といった内容。

その駐在員が、英語圏の恋しい彼女宛のメールを、間違って友人に送ってしまったようでした。

(奥さんは日本人)

で、友人が、新婚なのにもうこんなことやってるよ、と言っておりました。

でもまだこの間違いメールはマシ?な方で、仕事も夜の飲みも浮気も週末の家族ぐるみのバーベキューも全部一緒。

というパリの駐在員のことを、以前この記事で書いたことがありますが。

パリの心底ゲスな男たち

パリだけじゃなく、海外赴任(と海外出張)はこういった女性遊びも、奥さん側からすれば心配なことの1つ。

誘惑も多いようで、日本で働いていた時、入社3年めの独身の若い男性社員がこんなことを言っておりました。

海外出張の時にしょっちゅう相手側から性接待の誘いがあって上司たちは行くけど、自分はそういうのが大嫌いだからそこで帰る。と。

流されやすくなく潔癖な彼の性格からして本当にそうしているのだろうな、ちゃんとこういう人もいるんだな。

でも、多くの男性たちは、行ってしまうんだろうな。

と思いました。

人は流されやすいし誘惑に弱いですから。

ただコロナ禍があって時代の流れもあって、日本では今飲みにケーションがだいぶ減ったようで、海外赴任先や海外出張先でもそうかも、しれません。

私が日本で働いていた頃や「パリの心底ゲスな男たち」当初とはだいぶ変わっているかもしれないし、そうであった欲しいな、とも思います。

だってどう考えても普通じゃないことですから。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は7度、最高気温予想は10度で、お天気は曇りとなっております。

遡ること15年前の2008年2月、渡仏を決めていた私は、パリで住むアパルトマンを探すため、マイレージで貯めた航空券でパリに短期間滞在したことがあります。

愛犬のチワワ坊やも連れて行くので、パリに着いてから住む場所を探すことは、坊やに大きなストレスを与えてしまうと思ったからです。

で、前もってパリの日系不動産屋さんに家賃なども含め希望を伝えて、それに見合うアパルトマンをメールで紹介されていたので、その部屋を見に行ったというわけです。

そのアパルトマンはパリの端っこ15区と16区の間。

日本人男性担当者との待ち合わせ場所の住所に行ってみると、そこは古く重厚な建物がたくさん並ぶ閑静な住宅街で、そんな重厚な建物の1室が紹介された部屋でした。

広さは28㎡くらいだったと思いますが、中も年季が入っていて19世紀の雰囲気。

実際、19世紀かそれ以前の建物だったと思います。

古いけどバスタブがあったし、3階か4階だったので緑豊かな通りを窓から見下ろせて、なかなか悪くありませんでした。

で、ここならかなり安全そうなのでチワワ坊やと安心して暮らせそうだな、と思ったし、家賃も希望以内だったので担当者に、ここに決めたい、と伝えました。

すると、それまでかなりぞんざいな対応をしていた担当者が、え?となって態度がコロッと変わり、じゃあ社に一緒に戻って仮契約をしましょう!

と張り切って言い出しました。

で、会社に行くまでの車中では通りかかったパッシー地区のあたりで、ここは日本人駐在員の奥さん方が自慢したくて住みたがる地区だ、とか何とか、ぺらぺら話し始めました。

ここに決めたい、と言うまでの態度と真逆だったので、私は心の中で苦笑い、という感じでした。

それでもとにかく私は住むところが見つかったので、担当者がそんな対応でも一安心し、仮契約を済ませ、いったん日本に帰りました。

ですが渡仏に向けて着々と準備をしていたある時、その日系不動産屋からメールが来ました。

仮契約したアパルトマンが、相続でもめているので、巻き込まれるのを避けるためキャンセルした方が良い。

実はあそこに住んでいた男性が亡くなって貸し出すことになったのだけれど、親族間でもめ始めている、との事。

そのメールを送ってきたのが、この最悪だった女性担当者でした。

日系不動産屋の担当者との会話で地雷を踏んだ話

そして、その代わりに7区の別のアパルトマンを見つけてあるので、資料を見てください、と。

私の希望はまず第1に安全なカルティエであることだったのですが、このカルティエ以上に安全なところはそれほど多くないとのこと。

でもそのアパルトマンはキャンセルになるアパルトマンよりかなり狭く、家賃は希望より100ユーロ高かったのです。

ですがチワワ坊やがいて渡仏が迫っている私に、他の選択肢はありませんでした。

結局、安全だという言葉を信じて、そのアパルトマンを借りることになりました。

そして、渡仏当日、到着してそのままその7区のアパルトマンに向かい、その建物の前で女性担当者と会いました。

自分が1年間住むアパルトマンに、住む当日、初めて行ったのです。

それが前々回のエッフェル塔の記事でご紹介したカルティエにあるアパルトマンでした。

真冬の夜のエッフェル塔のふもとは…

その日から私のパリ暮らしが始まったのですが、そのカルティエはパリの中でも高級住宅街と言われているだけあって本当に安全でした。

感じの良い商店街やグルメ通りとして有名なサン・ドミニク通りもすぐそば。

しかも毎日エッフェル塔が見れるという最高のシチュエーション。

パリの端っこのアパルトマンより狭いのに100ユーロ高いと言うのも納得の立地でした。

今でも、最初の1年、そのカルティエに住めた事は本当に恵まれていたと思うし、今でも私の人生の大切な思い出になっております。

でももし、キャンセルになったあのアパルトマンに住んでいたとしても、それはそれで楽しいパリ暮らしになったんじゃないかな、とも思っております。

ただ後になって思うのは、あそこは本当に相続でもめてキャンセルだったのだろうか、という事。

もしかしたら不動産屋が、犬を心配してて渡仏前に住む場所を決めておきたい私の状況を見て、家賃が高い方でも借りるだろうと踏んだのかも。

なんて、考え過ぎかもですが、そんなことも過ります。

ところで、最初に会った不動産屋の男性担当者ですが、パリで知り合った友人もたまたまその担当者にアパルトマンを案内されたことがあったそうで。

やはりいい加減な対応で、借りようかな、と言うと、コロッと態度が変わったそう。

で、あ~、一緒一緒~!

という話になった事があります。

女性担当者もですが、あの対応が、あの不動産屋が通るというのがパリ。

今でも状況は変わらないんだろうな、と予想しております。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

今日のパリの気温は朝は-4度、最高気温は4度で、お天気は晴れとなっております。

渡仏してきて通った語学学校ではいろんな国の生徒がいました。

その中にファッション関係の仕事につきたい韓国出身の女の子がいました。

彼女は日本に留学したこともあるので日本語がペラペラ。

語学学校には韓国人の留学生も結構いたけど、日本大好き彼女はもっぱら日本人の子たちと行動を共にすることが多くて、皆でしょっちゅうアパルトマンの行き来もしておりました。

私もたまに彼女のアパルトマンに遊びに行って、皆で飲んだりしてました。

そんな彼女のアパルトマンは確か18区(だったかなぁ)。

不動産屋さんを通さないで直接家主さんから借りていて、リビングの他に小さな小部屋があって、窓からは中庭が見えるなかなか素敵なアパルトマンでした。

家賃も狭くないわりにそんなに高くなくて、500ユーロ台だったように記憶しております。

そこは、前の住人さんが出る時に、人づてに、空く部屋があるというのを聞いて、見つけた部屋。

パリでアパルトマンを見つける時のよくあるパターンです。

不動産屋さんに礼金を払わなくて済むし、人づて情報はほとんど知り合いの場合が多いので、その点も少し安心なんですよね。

パリは部屋貸しは嘘でお金だけだまし取る人が、フランス人でも日本人でもいますから。

でもある時、彼女が言っていて、ちょっとびっくりしたことがありました。

彼女のアパルトマンの家主さんは独身の中年フランス人男性だったのですが、夜、寝ていたら、その大家さんがそっと入ってきたそうです。

部屋が真っ暗だったので彼女が外出していると思ったよう。

何事もなかったようですが、気持ち悪かった~、って言っておりました。

彼女はかなり美人だったので(女優の柴崎コウさんに似ていました)、彼女の住む部屋に興味があったのでしょうかねぇ。

(昔のフォトを見せてくれたことがあるけど整形はまったくしていないと思います)

とにかく理由はよくわからないのですが、でもパリでも普通じゃない出来事だと思います。

でもそんな彼女、パリに来て十数キロ太ったと嘆いておりました。

理由はストレス。

ファッションの勉強のためにパリに来たのに、パリがまったくおしゃれじゃなく超遅れていてがっくりしたそう。

東京の方がず~っとおしゃれで、東京に帰りたい、としょっちゅう言っておりました。

それで、食でストレス発散していたよう。

で、その後本当に東京に帰りました。

いったん韓国に戻ってから、日本の就労ビザを取得することが出来て、念願の東京暮らしに戻ったとのこと。

体重もすっかり元に戻ったとも、人づてに聞きました。

パリに来たことがある方は結構知っていらっしゃる思うのですが、本当にパリはそれほどおしゃれはすごくないんですよね。

東京の方が進んでると私も思います。

でも、パリのそんなにおしゃれに気を遣わなくていいところが、私的にはラクチン。

でもでも、ファッションを勉強したい人には、今の時代は東京の方が刺激的なのかもしれません。

もうこれはそれぞれの好み、そして若さっていうのもあるのでしょうかね。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

14年前の冬、ソルボンヌ大学の教授だと言う男性の家に招かれたことがありまして、その時の奇妙なおもてなしの思い出話です。

その頃私はパリからニースに移ることを考えていて、ニースでの住まいを探していました。

でもニースは行ったことがないし、知り合いもいないので、探す手立てがわかりませんでした。

で、パリにいくつかある日本のフリーペーパーの中の1つに、ニースでアパルトマンを探している、というアノンス(広告)を出しました。

すると連絡が2件来ました。

1件は日本人男性で、彼のバカンス用アパルトマンで、場所はニースの中心地だったのですが間取りがとても狭いわりに家賃がかなり高かったので、お断りしました。

もう1件はフランス人男性で、そこも彼のバカンス用アパルトマンで、場所は中心地から少し外れていたけど2部屋ある間取りで、しかも家賃も良心的だったので、見てみたいな、と思いました。

で、部屋を見たいと伝えると。

僕が案内するからTGV(フランスの高速電車)で一緒に行きましょう、と。

でも会ったこともない人といきなり一緒にTGVで二-スまでの長距離を過ごすのは変だし気まずいし、2人分のTGV代を払うのも大変だし、しかも二-スに日帰りはちょっと難しいかも、と思って。

TGVは高いですし、ニースは日帰りでは行けないので、鍵を預かって1人で行って見てくるということは出来ませんか?

と伝えると。

TGVは自分の分は自分で払うし、僕のアパルトマンに泊まればいいです、と。

そして。

僕は怪しい人間じゃないので安心してください。

ソルボンヌ大学の13区の校舎で教えているので、一度来ませんか?

と、そのアドレスまでメールで送ってきました。

この時点で私も、ちょっとおかしいな、とは思いつつ、でもとにかく部屋を見つけたかったし、職場のアドレスまで送ってきたので、やり取りをやめておけなかったのですよね。

そんなやり取りをしている時期に、ちょうど日本から姉が遊びに来ました。

で、またそのソルボンヌの教授だという彼から、いつ大学に来ますか?

と連絡が来たので。

今、日本から姉が来ているので、アパルトマンの件は姉が日本に帰った後でまた改めて話したい。

と伝えました。

すると、じゃあ、2人で自分の家に来ませんか?

お姉さんとならあなたも来やすいだろうし、ニースのアパルトマンの写真や詳しい話も出来ますし。

と返信が来ました。

それを姉に話すと、怪訝な表情をしながらも、moiちゃんがいいなら行ってもいいけど…と。

姉もパリに来たばかりだし、パリ流的なことがわからないので(それはぜんぜんパリ流じゃなくて彼流だったが)、私にまかせるしかなかったのですよね。

で、私も姉と2人ならいいかな、と。

それにソルボンヌの教授というのがどんな人なのかも興味があったのは否めないし、怪しければ、部屋に入らないで帰ってくればいいかな、とも思いました。

で、行くことを決め、そのように伝えました。

彼の住まいはパリ5区のカルチェラタンにあるムフタール通りで、レストラン、カフェ、チーズ屋さん、パン屋さんなどがひしめいていて、パリの胃袋とも呼ばれております。

でも学生街なので、学生向けの安いお店も多く、ジモティにも観光客にも人気の有名通り。

そんな通りのど真ん中にある彼のアパルトマンに、姉と2人で確か夕方の6時か7時頃訪ねました。

部屋のブザーを押して出てきたのは、ちょっと神経質そうな小柄で痩せたフランス人男性。

雰囲気的には昔のウッディ・アレン(アメリカの映画監督)のような感じだったように記憶しております。

彼はめちゃくちゃ嬉しそうに笑顔で私たちを迎え、部屋に招き入れました。

通されたリビングはかなり広く50㎡か60㎡くらいはあったと思います。

壁はほとんど本棚といった感じでとにかくたくさんの本が並んでいました。

男所帯なのは明らかで、汚くはないけど若干散らかり気味でした。

彼は私たちをソファに座らせると、奥のオープンキッチンでスペイン料理店にあるような大きな生ハムの塊を専用のナイフで薄切りにしたり、ワインのボトルを開けたりして、せっせこアペリティフの準備を始めました。

その間に姉が私にそっと、ねぇちょっと恐いよ。この人変だよ。部屋のにおいも何か変だし。

とめちゃくちゃ不安そうに訴えてきました。

私も、確かに部屋は男所帯の独特なにおいがするし、変な人ではあるけどそんなに悪そうな人ではないな、と思っていました。

そんな風にこそこそ話していると、彼がワインや木のプレートにのせたおつまみを運んできました。

とても張り切っているのが伝わってきました。

そして私たちのためにワインを注ぎ、食べて食べて、と言いました。

私はワインに口をつけ、生ハムをつまみましたが、姉は一切手をつけず口をつけず、彼と視線も一切合わせませんでした。

彼は気を遣って、姉の顔色をうかがったり、姉を気にしながら私に話しかけたりしていましたが、その時はもう姉はあからさまに表情で身振り全体で彼に対し拒絶感を表し、無視を決め込んでいました。

無視された彼はちょっとうろたえていましたが、それでも一生懸命笑顔で話しかけてきました。

で、これ以上姉とここにいるのは無理だな、と思って。

ごめんなさい、もう今日は帰ります。

と彼に伝え、姉に帰ろう、と言って部屋を出てきました。

彼の部屋を出てムフタール通りに再び出た(出れた?)時の、姉の心底安堵した表情は今も忘れられません。

私でさえパリに来てまだ1年も経っていなくてフランス人のことをよくわかっていないのに、ただ旅行でパリに来ただけの姉には、ただただ外国での恐怖体験だったのでしょう。

で、この時以来、このニースのアパルトマンはもう諦め、このフランス人とのやり取りも止めました。

はっきりと覚えていないのですが、お断りの連絡はしたと思います。

これがソルボンヌの教授の怪しいおもてなしでの一部始終です。

今改めて思い出してみると、彼は本当に教授だったとは思っています。

ムフタール通りという立地であの間取りのアパルトマンは、たとえ14年前でもかなりの収入がないと、賃貸でも自分のアパルトマンでも住むのは難しいはずです。

この時からパリのアパルトマンはさらにどんどん価格が高くなったので、今なんか買うのであれば億単位になるかもしれません。

それから思うのは、日本のフリーペーパーを見ているということは、日本通かかなり日本に興味がある人。

フランスは日本&日本人に興味がある人がかなり多いので、彼もそんな1人だったのだろうと思います。

ドアが開いた時の、彼の嬉しそうな表情はとても印象的でした。

日本人女性が2人も来たのですからね。

でも、ニースの僕のアパルトマンに泊まればいい、と言うのはどう考えても普通じゃないこと。

絶対泊まらないけど、万が一泊まっていたら何をしてきたかわからなかったと思います。

で、この後、結局チワワ坊やと一緒に1度ニースにアパルトマン探しに行き、通りかかった不動産屋に飛び込みで入り、4、5軒めくらいで保証人がいなくても借してくれる不動産屋がありました。

そして無事部屋が見つかり、ニースに移ることが出来ました。

でも、そのニースのアパルトマンを出る時&出た後もまたなかなか大変なことがあったのです。

機会がありましたらまたそんなことも書かせていただきたいと思います。

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パリ庶民の暮らし情報と料理を中心にご紹介してるmoiです。

ニースで出会って仲良くなった日本人の女の子がパリに移り、その少し後、私もニースからパリに戻り、その際、数日間彼女のアパルトマンに泊めさせてもらったことがあります。

彼女はシャンゼリゼの人気パティスリーでバイトしていて、アパルトマンはそこから徒歩7、8分。

ショップやホテルはちょこちょこあるけど賑やかな商店街的なところはなく、比較的静かで危険の少ないカルティエでした。

とにかくシャンゼリゼまで徒歩で行けるので、シャンゼリゼで働いている彼女にとっては本当に便利だったと思います。

なのですが、彼女の住むアパルトマンの部屋について、ここはどうかな、という印象が私には正直ありました。

パリの建物は古いものが多く、しかもカルティエによっては密集して建っていて外観だけ見ると、中も狭そうだな、と感じることがよくあります。

でも実は小さなドアの向こうは意外に奥行きがあったり、螺旋階段があったり、吹き抜けで小さな中庭があったりで、各部屋、もちろん小さな部屋もあるけど、広い部屋もあったりします。

でも彼女のアパルトマンは外観とまったく同じで通路や階段もとにかく狭くて、部屋自体もとても小さかったのです。

部屋が小さいのはぜんぜんいいのです。

私がパリで最初に住んだ部屋も約20平米で、決して広いとは言えなかったですし、日本から来た人たちはよっぽどリッチな人じゃない限り、駐在員じゃない限り、最初は小さな部屋というのが普通。

ただ彼女の住む部屋は、フランス的なところがまったくなかったのです。

大家さんが確か台湾系だったと思うのですが、部屋だけ見たら、どこかアジアの混沌とした街の一部屋の雰囲気。

キッチンも含めアジア的な生活感に溢れていました。

しかも窓を開けるとすぐ隣の建物の壁。

外も空もまったく見えないのです。

なので閉塞感もすごかったのです。

とにかくパリの、しかもシャンぜリゼのすぐそばに住んでるとは思えなかったんですよね。

で、彼女がしょっちゅう言っていたのが、ニースはあんなに楽しかったのに、パリがぜんぜん楽しくない。パリは好きじゃない。ということ。

その時に私は、いくらシャンゼリゼが近くても、この部屋と職場を毎日徒歩で行き来してるだけでは、やっぱりそう思ってしまうのはしかたないかも、と思ったのです。

私が最初に住んだカルティエは、すぐ近くに賑やかな商店街がいくつもあって、顔馴染みになったお店の人たちがしょっちゅう声をかけてくれました。

部屋からは、パリらしい通りの風景や灯が見えて、それを眺めていると、ああ、パリに本当に住んでいるんだな、夢のようだな、とよく思ったものです。

おしゃれでも何でもない小さな部屋だったけど、パリらしさに囲まれや環境だったのですよね。

で、彼女はその後日本に帰国したのですが、1年くらい経った頃にメールをくれて、そこには。

今、地元(東北)のパティスリーで働いているけど、フランスで暮らしたのが嘘のようだと。

私のフランス留学はいったい何だったんだろう?と思ってしまうと。

ニースではとても社交的で各国の友達がたくさんいて、フランス語もよくしゃべれて、フランスが合ってるんだな、と私は思っていたのですが。

メールから伝わってくるのは、ニースの時とはまったく違う様子の彼女でした。

それから11年経ったのですが、今でも彼女のことを思い出すと。

あのシャンゼリゼのアパルトマンではなく、もし別のカルティエのアパルトマンで、パリらしい雰囲気が感じられる場所だったら。

庶民的な商店街なんかがすぐそばにあって、お店の人や近所の人としょっちゅう会話をするような環境だったら。

社交的だった彼女のパリ生活は大きく変わっていたんじゃないかな、と思うのです。

なので、住む場所って本当に大きいな、と。

通勤に便利よりも、まず、住む場所が自分にとって楽しいか。落ち着けるか。

それから、人と接するのが苦手な場合は別として、1人暮らしの場合は、職場以外で誰かと接する機会がある、というのも大事だな、と。

実は、この事が今の自分の住まいについての考え方にも少なからず影響しております。

今の住まいはパリ市内より断然不便なパリ郊外だけど、窓を開ければ緑がたくさんあって、星もパリ市内よりはたくさん見えているはずです。

今の自分には、都会より自然がある場所の方が合っているな、楽しいな、落ち着けるな、と感じるのです。

なんて、こんな好き勝手に書いてしまったけれど。

ニースからパリに戻ってきた時、部屋探しが難航していた私を泊めてくれたことには、本当に感謝しているのです。

真面目な雰囲気になるのが好きでいつも伊達メガネをかけていた私に「moiさん、メガネかけない方がいいよ~」って何度も言ってくれて。

フランスに来たわけを、そこまでぶっちゃけなくていいよ、くらい素直にぶっちゃけて話してくれて。

可愛いらしい女の子でした。

うんと若かった彼女も今、大人。

もしかしたら彼女のことだから、またフランスか別の国に出てるかも、なんて思うこともありますが、どうかなどうかな。

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